保守無料⑬
パソコンPOS回想録⑬(1998年)
パソコンPOSのような業務用ソフトは
通常、ソフトの保守契約というものを結ぶのが通常である。
しかし、私はBCPOSを世の中に出す時、
ソフト保守無料ということを明確にした。
当社が営業している時間帯であれば、いつでも電話に出れる体制を作り上げた。
私が保守無料にしたその一つの理由は
パッケージであるのに、なぜ保守を結ばなくてはいけないのかという疑問からであった。
世の中には、業務用のパッケージソフトで保守費を取ってる会社がたくさんある。
中には、その保守費で会社がまかなっているのではないかと思われるケースも多くある。
それだけ、ソフトハウスが保守費に依存している。
しかし、保守が必要なソフトって何だろう?
悪く考えると、そのソフトは完成品ではないのか?とも思ったりする。そんな中途半端なソフトを販売したあとで、バグ取りのために保守を結んでるようなことにも考えられる。
もう一つは
ソフトのレンタル費用の中に、保守という概念を混ぜたくなかったのもある。レンタル費用の中には保守費は含まない。しかし含んでいると考える方も世の中にはたくさんいる。中途半端に保守という概念を混ぜてしまうより保守無料とうたっておけば、それがすべてレンタル費用だということが出来る。
しかし、保守費用を頂かないからといって、保守をしないわけではない。営業時間内であれば、十分無料の保守は可能である。逆に電話の窓口の対応だけなのに、保守を払っていないからといって受け付けないような会社はおかしいと思っている。
サービスの金額を明確にすることによって、それだけ責任の役割分担を負うことになる。
当社は保守という概念を明確に切り離すことによって、無償で出来るサービスと有償でやるサービスの中身を分離した。
それで当社のソフトに不満があるお店は、レンタル契約を継続しなければ済むだけの話である。
しかし、それでは当社が成り立たなくなるので、できるだけ契約を長くしていただけるように、がんばることになる。
お客様も無償であればここまでのサービス、有償であればこれだけのサービスと、納得できるものになるであろう。
今から考えれば、4000店舗ものお店から保守費用を取ってれば、随分楽だろうなと考える。
しかし、お店からそれだけの費用を取ったならば、これだけの本数は販売できなかったはずである。
営業戦略、サポート戦略として、少ない費用でどこまでのサービスが出来るか、結構微妙な問題でもあった。
いま4000店舗になって初めて、その戦略が間違ってなかったことを実感する。
ソフトはバグ潰しによって、6年も経てばほとんど保守のいらない環境に育っているからだ。
よくお客様が当社に来て、「4千店もの保守はどこでおこなってるの?」と聞かれる。
私は常に、「この社内で行ってますよ」と答える。
この問い合わせ電話の少なさが、6年でソフトを完成させた自信でもある。
パソコンPOSのような業務用ソフトは
通常、ソフトの保守契約というものを結ぶのが通常である。
しかし、私はBCPOSを世の中に出す時、
ソフト保守無料ということを明確にした。
当社が営業している時間帯であれば、いつでも電話に出れる体制を作り上げた。
私が保守無料にしたその一つの理由は
パッケージであるのに、なぜ保守を結ばなくてはいけないのかという疑問からであった。
世の中には、業務用のパッケージソフトで保守費を取ってる会社がたくさんある。
中には、その保守費で会社がまかなっているのではないかと思われるケースも多くある。
それだけ、ソフトハウスが保守費に依存している。
しかし、保守が必要なソフトって何だろう?
悪く考えると、そのソフトは完成品ではないのか?とも思ったりする。そんな中途半端なソフトを販売したあとで、バグ取りのために保守を結んでるようなことにも考えられる。
もう一つは
ソフトのレンタル費用の中に、保守という概念を混ぜたくなかったのもある。レンタル費用の中には保守費は含まない。しかし含んでいると考える方も世の中にはたくさんいる。中途半端に保守という概念を混ぜてしまうより保守無料とうたっておけば、それがすべてレンタル費用だということが出来る。
しかし、保守費用を頂かないからといって、保守をしないわけではない。営業時間内であれば、十分無料の保守は可能である。逆に電話の窓口の対応だけなのに、保守を払っていないからといって受け付けないような会社はおかしいと思っている。
サービスの金額を明確にすることによって、それだけ責任の役割分担を負うことになる。
当社は保守という概念を明確に切り離すことによって、無償で出来るサービスと有償でやるサービスの中身を分離した。
それで当社のソフトに不満があるお店は、レンタル契約を継続しなければ済むだけの話である。
しかし、それでは当社が成り立たなくなるので、できるだけ契約を長くしていただけるように、がんばることになる。
お客様も無償であればここまでのサービス、有償であればこれだけのサービスと、納得できるものになるであろう。
今から考えれば、4000店舗ものお店から保守費用を取ってれば、随分楽だろうなと考える。
しかし、お店からそれだけの費用を取ったならば、これだけの本数は販売できなかったはずである。
営業戦略、サポート戦略として、少ない費用でどこまでのサービスが出来るか、結構微妙な問題でもあった。
いま4000店舗になって初めて、その戦略が間違ってなかったことを実感する。
ソフトはバグ潰しによって、6年も経てばほとんど保守のいらない環境に育っているからだ。
よくお客様が当社に来て、「4千店もの保守はどこでおこなってるの?」と聞かれる。
私は常に、「この社内で行ってますよ」と答える。
この問い合わせ電話の少なさが、6年でソフトを完成させた自信でもある。
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- [2004/08/31 00:21]
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こだわりの在庫リアル処理⑫
パソコンPOS回想録⑫(1998年)
「BCPOS」を開発する上で
システム的にもかなりこだわったことがいくつかある。
一つは、すべての在庫処理をリアルに行うことだった。
いままでのPOSシステムというと、
バーコードを当てて販売を行うと
それをすべてトランザクションとして溜め込み
業務が終了後、データ集計を行い、売上や在庫を集計する。
そのために、締め処理というものが必ず存在した。
「BCPOS」では、
常に売上や在庫や稼動実績やポイントを
販売と同時にリアルに集計を行い
常に最新の情報として見れるように処理を行った。
一番苦労したのは在庫の処理であった。
パソコン1台だけの処理では何ら問題が起きないのだが
LANで複数台接続して使用する環境も設計に入れていたため
複数のPOSで同一商品を同時に販売しても
在庫が狂わないようにしなければならなかった。
それには排他制御を行う必要があった。
たとえば、複数台A、B、CのPOSで販売する時
同じ商品を同時にバーコードをスキャンすると
それぞれのPOSはデータベースにアクセスした順番に販売する前は、
A:在庫10、B:在庫9、C:在庫8 と表示しなくてはならない。
しかし、店頭ではバーコードをスキャンした順番に販売されるわけではなく
バラバラなタイミングで処理が行われる。
たとえばC、B、Aと読み込んだ逆に
一個ずつ売った結果は、
C:在庫9、B:在庫8、A:在庫7 とならなければならない。
これはすでに在庫を読み込んで来たとしても、
販売時に再度在庫を見直して、再計算をしなければならない。
これは、データベースとのタイミングの調整が非常に大変であった。
これをリアル処理ではなく、後処理でやったら意図も簡単に出来てしまう。
サーバで販売した順番に在庫を減らしていけば済むだけの話だ。
そのためのマシン「ストコン」なる不思議なものが流通業界には存在する。
ちなみになぜ、私がこのリアルな在庫にこだわったかと言うと
お店では在庫が見えると非常に便利なことが多々ある。
POS上で在庫が見れれば、いちいち棚をチェックする必要もなく
適正な在庫、適時な発注、在庫の過不足等を把握することが出来る。
倉庫やバックヤードに保管される在庫も要注意だ。
店によってはいちいち店頭の在庫を確認するために、
しょっちゅう簡易な棚卸を行い、発注の目安にしている店もある。
過剰な仕入を起こすと、破棄しなくてはいけない無駄が出てくる。
それに在庫が切れた時点で即座に発注が出来れば翌日の納品に間に合うが、
業務を終了し、集計した時点で発注かけたのでは、翌々日になってしまう場合もある。
商品の在庫を切らすと、即座に売上のダウンにつながる。
それに、それを調べたり、集計するための人件費は、日々積み重ねると莫大な費用にもなる。
POSデータは過去の数字だとよく言われ続けていた。
これは、リアルな処理が出来ず、過去しかデーターが参照できなかったからである。
つねにリアルな情報を見れるようにすることは
お店の経営向上にかなり結びつけることが可能になる。
私は今でも在庫をリアルに表示できるPOSを見たことがない。
他メーカの商品と差別化するには、こういった細やかな情報も必要となる。
究極の目標は「売上を伸ばすことの出来るPOS」である。パソコンである限りまだまだ可能だ。
「BCPOS」を開発する上で
システム的にもかなりこだわったことがいくつかある。
一つは、すべての在庫処理をリアルに行うことだった。
いままでのPOSシステムというと、
バーコードを当てて販売を行うと
それをすべてトランザクションとして溜め込み
業務が終了後、データ集計を行い、売上や在庫を集計する。
そのために、締め処理というものが必ず存在した。
「BCPOS」では、
常に売上や在庫や稼動実績やポイントを
販売と同時にリアルに集計を行い
常に最新の情報として見れるように処理を行った。
一番苦労したのは在庫の処理であった。
パソコン1台だけの処理では何ら問題が起きないのだが
LANで複数台接続して使用する環境も設計に入れていたため
複数のPOSで同一商品を同時に販売しても
在庫が狂わないようにしなければならなかった。
それには排他制御を行う必要があった。
たとえば、複数台A、B、CのPOSで販売する時
同じ商品を同時にバーコードをスキャンすると
それぞれのPOSはデータベースにアクセスした順番に販売する前は、
A:在庫10、B:在庫9、C:在庫8 と表示しなくてはならない。
しかし、店頭ではバーコードをスキャンした順番に販売されるわけではなく
バラバラなタイミングで処理が行われる。
たとえばC、B、Aと読み込んだ逆に
一個ずつ売った結果は、
C:在庫9、B:在庫8、A:在庫7 とならなければならない。
これはすでに在庫を読み込んで来たとしても、
販売時に再度在庫を見直して、再計算をしなければならない。
これは、データベースとのタイミングの調整が非常に大変であった。
これをリアル処理ではなく、後処理でやったら意図も簡単に出来てしまう。
サーバで販売した順番に在庫を減らしていけば済むだけの話だ。
そのためのマシン「ストコン」なる不思議なものが流通業界には存在する。
ちなみになぜ、私がこのリアルな在庫にこだわったかと言うと
お店では在庫が見えると非常に便利なことが多々ある。
POS上で在庫が見れれば、いちいち棚をチェックする必要もなく
適正な在庫、適時な発注、在庫の過不足等を把握することが出来る。
倉庫やバックヤードに保管される在庫も要注意だ。
店によってはいちいち店頭の在庫を確認するために、
しょっちゅう簡易な棚卸を行い、発注の目安にしている店もある。
過剰な仕入を起こすと、破棄しなくてはいけない無駄が出てくる。
それに在庫が切れた時点で即座に発注が出来れば翌日の納品に間に合うが、
業務を終了し、集計した時点で発注かけたのでは、翌々日になってしまう場合もある。
商品の在庫を切らすと、即座に売上のダウンにつながる。
それに、それを調べたり、集計するための人件費は、日々積み重ねると莫大な費用にもなる。
POSデータは過去の数字だとよく言われ続けていた。
これは、リアルな処理が出来ず、過去しかデーターが参照できなかったからである。
つねにリアルな情報を見れるようにすることは
お店の経営向上にかなり結びつけることが可能になる。
私は今でも在庫をリアルに表示できるPOSを見たことがない。
他メーカの商品と差別化するには、こういった細やかな情報も必要となる。
究極の目標は「売上を伸ばすことの出来るPOS」である。パソコンである限りまだまだ可能だ。

- [2004/08/25 00:20]
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こだわりの「レントウェア」⑪
パソコンPOS回想録⑪(1998年)
新しいWindowsPOSパッケージが完成した時、
私がぜひやってみたいこだわりがあった。
それは、ソフトを販売して売り切るのではなく、
ソフトを貸出(レンタル)するというものであった。
私はこのソフトレンタル方式を「レントウェア」と名付けた。
それまでのPOSのような業務用パッケージは、
通常貸し出されるものではなく販売されるものであった。
当社も以前のDOSパッケージでは、すべて買取販売で90万円もした。
そのため、POS一式をそろえようとすると150万円近くもする。
今後とも、150万円もするシステムが順調に売れていくんだろうか?
私は、その考え方には否定的であった。
POSがパソコンに移っていく時点で低価格化がすすんだ。
そのためパソコンPOSでは、ソフトの価格がハードを上回ることは
非常にお客様に高価な商品だというイメージを与える。
価値以上の高価な商品は、いずれ売れなくなる。
ソフトが売れなくなってから、あわてては遅い。
過去の経験が、私のこの不安を駆り立てた。
しかしながら、POSパッケージは業務用アプリであり
販売は、その業種だけにしか売れず大量本数販売することは難しい。
ただ単に値段だけを下げたのでは、会社を成り立たせていくのが難しくなる。
売った後、会社がなくなりサポートが出来なくなれば、
買っていただいたお客様に迷惑がかかる。
ソフトハウスの最大のサービスは、会社を継続しお客様をサポートすることだと考えた。
そこで私は、ソフトをレンタルすることを思いついた。
一店舗のお店が1カ月システムに払えるお金は、
せいぜい1万円から2万円である。
それ以上超えれば、システムの経費でお店の経営を圧迫しシステムを入れるメリットがなくなる。
そのため、ソフト代は5000円~10000円までが妥当な線だろうと思った。
ソフトをレンタルすれば、お店の初期導入費は格段に下がり、
複数店舗のチェーン店でも導入しやすくなる。
そしてレンタルであれば必要な時に導入し、
必要がなくなればソフトも返すことも出来る。
初期導入費が格段に安くなれば、
今まで導入できなかったお店も導入しやすくなり、
今までの買取で営業してたよりも、
格段に「BCPOS」を使ってもらいやすくなる。
そしてレンタル費用は、全額経費で清算出来て、
リース費用などの金利もかからない。
お客様には、いいこと尽くめの「レントウェア」であるが、
社内では大きな問題が起きていた。
なにせ、今まで90万円で売ってきた商品を、
たったの5000円で貸してしまおうというのである。
数を売らなければ、大幅な収益ダウンになると予想された。
最初に営業がたけび声をあげた。
営業マン:「社長、月にいったい何本ソフトを売ればいいんですか?」
私:「30本から50本ぐらい売ればいい」
いままで営業が90万円のソフトを、月に3~10本売れば十分なノルマに達成した。
今度は1本ソフトを5000円にするから、その5倍から10倍売ってこいというのである。
もし目標本数売れなければ、会社は赤字となり、存続することは不可能であろう。
私は周りから無謀な計画だと言われながらも、その販売方法を決定した。
パソコンPOSソフト ¥5000/月
大きな賭けでああったが、私には多少の勝算があった。
①まず、販売するまでに会社を縮小し、無駄なものを一切なくしてた。
引っ越したことにより、社員の数も最低限度必要な人数に絞り込まれてたし
大きな経費がかからないことが、少ない利益でやっていける最大の武器だった。
②ソフト・ハードの金額を最低限度の金額に抑えた。
これにより、格段に商品競争力が増し、多店舗のチェーンでの導入もすすんだ。
③パソコンPOSに特化
専用POS筐体を用いず、パソコンに特化したため、
個々の仕様に合わせるソフトの改造の手間を防ぎ、統一した環境で販売が出来た。
④個別のカスタマイズ、独自仕様の廃止
個々の企業に合わせたカスタマイズを受けなかったことにより、統一メンテナンスが可能
複数のお店で使用される仕様は、基本スイッチの変更にて可能にする。
そのため、多くの業種に対応し、販売できるルートが増えた。
販売して1~2年は不安の連続であった。
自転車操業のような日々が続き
「方向性が間違っていないのだから必ず売れる」何度も自分に言い聞かせていた。
何度もバージョンアップを重ね、機能を増やしていく中で、
6年たった今、結果として4000本の「BCPOS」の販売を行い、
月50本~60本のも販売本数をこなした結果となった。
当社は、いままで分譲住宅を売っていた不動産会社から
賃貸マンションを管理する不動産屋に変化したと思ってる。
駅から近い=便利で
家賃の安い=費用の安い
住み心地のいい=使いやすい
日当たりのいい=機能の多い
安全な=安心な
常にリフォームされる=常にバージョンアップされる
買う時代から借りる時代に、そんなマンション
ソフトもそういう時代が来たのだと実感してる。
新しいWindowsPOSパッケージが完成した時、
私がぜひやってみたいこだわりがあった。
それは、ソフトを販売して売り切るのではなく、
ソフトを貸出(レンタル)するというものであった。
私はこのソフトレンタル方式を「レントウェア」と名付けた。
それまでのPOSのような業務用パッケージは、
通常貸し出されるものではなく販売されるものであった。
当社も以前のDOSパッケージでは、すべて買取販売で90万円もした。
そのため、POS一式をそろえようとすると150万円近くもする。
今後とも、150万円もするシステムが順調に売れていくんだろうか?
私は、その考え方には否定的であった。
POSがパソコンに移っていく時点で低価格化がすすんだ。
そのためパソコンPOSでは、ソフトの価格がハードを上回ることは
非常にお客様に高価な商品だというイメージを与える。
価値以上の高価な商品は、いずれ売れなくなる。
ソフトが売れなくなってから、あわてては遅い。
過去の経験が、私のこの不安を駆り立てた。
しかしながら、POSパッケージは業務用アプリであり
販売は、その業種だけにしか売れず大量本数販売することは難しい。
ただ単に値段だけを下げたのでは、会社を成り立たせていくのが難しくなる。
売った後、会社がなくなりサポートが出来なくなれば、
買っていただいたお客様に迷惑がかかる。
ソフトハウスの最大のサービスは、会社を継続しお客様をサポートすることだと考えた。
そこで私は、ソフトをレンタルすることを思いついた。
一店舗のお店が1カ月システムに払えるお金は、
せいぜい1万円から2万円である。
それ以上超えれば、システムの経費でお店の経営を圧迫しシステムを入れるメリットがなくなる。
そのため、ソフト代は5000円~10000円までが妥当な線だろうと思った。
ソフトをレンタルすれば、お店の初期導入費は格段に下がり、
複数店舗のチェーン店でも導入しやすくなる。
そしてレンタルであれば必要な時に導入し、
必要がなくなればソフトも返すことも出来る。
初期導入費が格段に安くなれば、
今まで導入できなかったお店も導入しやすくなり、
今までの買取で営業してたよりも、
格段に「BCPOS」を使ってもらいやすくなる。
そしてレンタル費用は、全額経費で清算出来て、
リース費用などの金利もかからない。
お客様には、いいこと尽くめの「レントウェア」であるが、
社内では大きな問題が起きていた。
なにせ、今まで90万円で売ってきた商品を、
たったの5000円で貸してしまおうというのである。
数を売らなければ、大幅な収益ダウンになると予想された。
最初に営業がたけび声をあげた。
営業マン:「社長、月にいったい何本ソフトを売ればいいんですか?」
私:「30本から50本ぐらい売ればいい」
いままで営業が90万円のソフトを、月に3~10本売れば十分なノルマに達成した。
今度は1本ソフトを5000円にするから、その5倍から10倍売ってこいというのである。
もし目標本数売れなければ、会社は赤字となり、存続することは不可能であろう。
私は周りから無謀な計画だと言われながらも、その販売方法を決定した。
パソコンPOSソフト ¥5000/月
大きな賭けでああったが、私には多少の勝算があった。
①まず、販売するまでに会社を縮小し、無駄なものを一切なくしてた。
引っ越したことにより、社員の数も最低限度必要な人数に絞り込まれてたし
大きな経費がかからないことが、少ない利益でやっていける最大の武器だった。
②ソフト・ハードの金額を最低限度の金額に抑えた。
これにより、格段に商品競争力が増し、多店舗のチェーンでの導入もすすんだ。
③パソコンPOSに特化
専用POS筐体を用いず、パソコンに特化したため、
個々の仕様に合わせるソフトの改造の手間を防ぎ、統一した環境で販売が出来た。
④個別のカスタマイズ、独自仕様の廃止
個々の企業に合わせたカスタマイズを受けなかったことにより、統一メンテナンスが可能
複数のお店で使用される仕様は、基本スイッチの変更にて可能にする。
そのため、多くの業種に対応し、販売できるルートが増えた。
販売して1~2年は不安の連続であった。
自転車操業のような日々が続き
「方向性が間違っていないのだから必ず売れる」何度も自分に言い聞かせていた。
何度もバージョンアップを重ね、機能を増やしていく中で、
6年たった今、結果として4000本の「BCPOS」の販売を行い、
月50本~60本のも販売本数をこなした結果となった。
当社は、いままで分譲住宅を売っていた不動産会社から
賃貸マンションを管理する不動産屋に変化したと思ってる。
駅から近い=便利で
家賃の安い=費用の安い
住み心地のいい=使いやすい
日当たりのいい=機能の多い
安全な=安心な
常にリフォームされる=常にバージョンアップされる
買う時代から借りる時代に、そんなマンション
ソフトもそういう時代が来たのだと実感してる。

- [2004/08/23 00:18]
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「BCPOS」誕生 10年POS⑩
パソコンPOS回想録⑩(1998年)
会社を文京区小石川に移して、身軽になってからは
精力的にWindowsPOSソフトウェアの開発に取り組んだ。
新しいWindowsPOSパッケージは、1998年3月に完成した。
私はビジコムの頭文字をとって、
新しいパッケージの商品名を「BCPOS」と名付けた。
「BCPOS」は、今までにない新発想のソフトであり、
私の今までの失敗経験を、最大限に生かせるように考えに考え抜いたパッケージであった。
POSとしては、通常の売上管理だけが出来れば十分通用するのだが
私自身のかなりのこだわりをもって設計した。
まず、10年持つパッケージでなくてはならない。
いままでPOS専用機が5年くらいのサイクルでハードが交換されていく中
そのハードを交換するたびに内部のソフトウェアが使い捨てにされていた。
システム会社はそれにより新しい開発で潤うが、お店はそのたびに莫大なソフトの改造費を払わなければならなかった。バブルの時はそれでもよかったであろう。
ソフトをそのたびに作り直す手間もさることながら、
問題は、そのたびに入れ替えの作業を行い、データの互換性も危うくなることだ。お店の顧客情報、商品情報はお店での財産にも等しい。
商売という継続性を保つためには、ハードの互換性を心配することなく
安心して使用できるものでなければならなかった。
そのためには、ベースになるものは専用機ではなく、パソコンであった。
パソコンはソフトの互換性を無視して、ハードの中身を変更することはありえない。
それに数多くのハードメーカーがパソコンを製造しているため、競争力も高まるであろう。
パソコンであれば、10年以上は互換性を保障してくれる。
それと、もしハードの故障があったとしても、パソコンであれば、本体の交換だけで済む。
このことは大きな決断でもあった。
もし、POS専用機に合わせた形でソフトを販売したなら、
POSメーカが営業の主力となり、私たちは開発にだけ力を注げばいいだろう。
しかし、パソコンを選んだならば、
WindowsPOSのパッケージなんて、一業種の一パッケージにしか過ぎない。
そのため、パソコンメーカに販売をお願いすることなんて、到底できることでなく、
私たちだけでマーケットを開拓して販売しいかなければならない。
(最近はPOSメーカもパソコンPOSの販売には力を注いでくれますが)
今でもそうだが、大手POSメーカの営業力は壮大で、私たちだけでは到底出来ないことが多い。
システムの入れ替えを検討してるお店の情報などは、ほとんど私たちでは掴むことができない。
一からの営業、これが私たちに課されたBCPOSを売る営業の使命だった。
しかし、パソコンを選んだことにより、10年、
いや10年以上の互換性を持ってお店では使用することが可能になった。
発売されてから、6年たった今、
案の定、1998年その当時、POSを導入したお店が、システムの検討時期に経ってる。
その当時に検討されて、他社を選ばれたお店が、
また新しい入れ替え検討として、当社のBCPOSを検討されてるということは
嬉しい限りでもある。

会社を文京区小石川に移して、身軽になってからは
精力的にWindowsPOSソフトウェアの開発に取り組んだ。
新しいWindowsPOSパッケージは、1998年3月に完成した。
私はビジコムの頭文字をとって、
新しいパッケージの商品名を「BCPOS」と名付けた。
「BCPOS」は、今までにない新発想のソフトであり、
私の今までの失敗経験を、最大限に生かせるように考えに考え抜いたパッケージであった。
POSとしては、通常の売上管理だけが出来れば十分通用するのだが
私自身のかなりのこだわりをもって設計した。
まず、10年持つパッケージでなくてはならない。
いままでPOS専用機が5年くらいのサイクルでハードが交換されていく中
そのハードを交換するたびに内部のソフトウェアが使い捨てにされていた。
システム会社はそれにより新しい開発で潤うが、お店はそのたびに莫大なソフトの改造費を払わなければならなかった。バブルの時はそれでもよかったであろう。
ソフトをそのたびに作り直す手間もさることながら、
問題は、そのたびに入れ替えの作業を行い、データの互換性も危うくなることだ。お店の顧客情報、商品情報はお店での財産にも等しい。
商売という継続性を保つためには、ハードの互換性を心配することなく
安心して使用できるものでなければならなかった。
そのためには、ベースになるものは専用機ではなく、パソコンであった。
パソコンはソフトの互換性を無視して、ハードの中身を変更することはありえない。
それに数多くのハードメーカーがパソコンを製造しているため、競争力も高まるであろう。
パソコンであれば、10年以上は互換性を保障してくれる。
それと、もしハードの故障があったとしても、パソコンであれば、本体の交換だけで済む。
このことは大きな決断でもあった。
もし、POS専用機に合わせた形でソフトを販売したなら、
POSメーカが営業の主力となり、私たちは開発にだけ力を注げばいいだろう。
しかし、パソコンを選んだならば、
WindowsPOSのパッケージなんて、一業種の一パッケージにしか過ぎない。
そのため、パソコンメーカに販売をお願いすることなんて、到底できることでなく、
私たちだけでマーケットを開拓して販売しいかなければならない。
(最近はPOSメーカもパソコンPOSの販売には力を注いでくれますが)
今でもそうだが、大手POSメーカの営業力は壮大で、私たちだけでは到底出来ないことが多い。
システムの入れ替えを検討してるお店の情報などは、ほとんど私たちでは掴むことができない。
一からの営業、これが私たちに課されたBCPOSを売る営業の使命だった。
しかし、パソコンを選んだことにより、10年、
いや10年以上の互換性を持ってお店では使用することが可能になった。
発売されてから、6年たった今、
案の定、1998年その当時、POSを導入したお店が、システムの検討時期に経ってる。
その当時に検討されて、他社を選ばれたお店が、
また新しい入れ替え検討として、当社のBCPOSを検討されてるということは
嬉しい限りでもある。


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社内改革⑨
パソコンPOS回想録⑨(1997年)
新しいWindowsPOSパッケージを作り始めていた1997年、予期しなかった売上の低迷により過去にない赤字決算を向かえることになった。
本社を拡大移転し、次年度は売上が20%増加する見込みのもとに立てた計画だったので、前年比20%ダウンの売上は見事なまで私の計画を打ち砕いた。
売上の低迷、赤字の原因は、
①消費税5%値上げによる、一般消費の伸び悩み
②大口ユーザーの撤退
③社内での二重開発の負担増加(DOSとWindows)
ある程度予測できたこともあったのに、自分の過度の過信が招いた結果であった。
消費税が上がって売上低迷の予測が見え始めた2ヵ月後の1997年6月、私は直ちに社内の改革に着手した。
まず手がけたのは、肥大化してしまった経費の削減と、長期計画の軌道修正であった。
1996年6月に新しい事務所に引っ越してきて、まだ一年しか経っていなかった。しかし175坪のフロアーと月300万円の家賃は、経営に重くのしかかっていた。
当時の事務所のフロアの形はL字型に折れ曲がっており、100坪と75坪に別れていた。そのためテナント会社に片方の75坪を返却したいと申し入れたが、そんな都合のいい要請は受け入れられるはずもなく断られた。
しかたがなく、不必要なものは片っ端から解約・解除していった。一番大きかったのは保険であろう。いつ私がいなくなってもいいようにと、会社で3億円の死亡保険が掛けられていた。私もよくそんな保険に入ったものだと、今から考えると笑ってしまうが、実に月20万円以上のお金が保険に掛けられていた。
また、あまり使われていなかった営業車の数を半分に減らしたり、地道なコストカットを行ったが、あまり大きな効果を上げられなかった。
3ヵ月後、9月になってテナント会社から急な相談が入った。
「ビジコムさん、引越したいと、言ってましたよね」
別に引っ越したかったわけではなかったが、家賃の安いビルに引っ越したかった。その当時いた池袋ビルは、立地も家賃も申し分なかった。
テナント:「来月の10月までに引っ越しませんか?」
私:「え?」
なんと、たった一ヶ月で引っ越せ、と言う。
色々と話を聞いていると、業務拡張をしてる会社があって、ここのビルを借りたいと申し出ているらしい。当社が借りてたスペースは2階で、当時1階と3階が空室であった。ビルを借りたいといってる会社は、その1階、2階、3階の全部のフロアを使用したいため、当社が引っ越せば、その会社を誘致できるのだという。
あまりに唐突で虫のいい話だったので、しばらくほっておいたが、担当者は毎日足を運んできた。そしてそのたびに当社に有利な条件が整っていった。
有利な条件が整った1997年10月、引越しの話があって一ヶ月もしないうちに、同じテナント会社が持っていた別なビル(文京区小石川)に本社を引っ越していた。
たった1カ月で引っ越せというテナント会社もどうかと思うが、その話に乗って引っ越してしまった私もどうかと思った。引っ越した後で聞いた話だが、引っ越してきた会社は、ドコモであった。確かにサンシャイン近辺には、ドコモ関係の事務所がたくさん存在してた。道理で業務拡張してたし、そういえば通信関係って言ってたような。ドコモだと知っていればもっといい条件を引き出せたのではないかと思ったりもする。
新しい事務所は約80坪、池袋のビルに比べ約半分しか面積がなく、駅から遠く不便なとこであった。
入りきれなくなった多くの机や什器を破棄し、家賃も1/3になった。
小石川の事務所は、交通も食事するにも何かと不便なとこではあったが、隣には小石川植物園や桜の名所の播磨坂が隣接し、環境としては申し分もなく、私としては結構気に入った場所であった。それとともに、身の丈以上の背伸びから、身の丈に戻れた私は、安心感があったのだと思う。
結局、次年度の決算は、年間5億円程度の売上の会社で、約1億円の経費の削減がなされた。売上の20%の金額である。今考えても、無駄使いが多かったんだなと思うと共に、よくここまで絞りきれたものだと思っう。
このことは、その後の営業展開に非常に有利なこととなった。高コストな会社運営ではなく、低コストで運用できる。すべてのコストは商品に転化せざるをえないことを考えると、低コスト運営はお客様にも安い商品を提供できることになる。
安い=競争力の増加
この会社運営の低コスト化が、私が当初から考えていたソフトをレンタル(貸出)する営業方法、すなわち「レントウェア」の基礎に結びついていくことになる。

新しいWindowsPOSパッケージを作り始めていた1997年、予期しなかった売上の低迷により過去にない赤字決算を向かえることになった。
本社を拡大移転し、次年度は売上が20%増加する見込みのもとに立てた計画だったので、前年比20%ダウンの売上は見事なまで私の計画を打ち砕いた。
売上の低迷、赤字の原因は、
①消費税5%値上げによる、一般消費の伸び悩み
②大口ユーザーの撤退
③社内での二重開発の負担増加(DOSとWindows)
ある程度予測できたこともあったのに、自分の過度の過信が招いた結果であった。
消費税が上がって売上低迷の予測が見え始めた2ヵ月後の1997年6月、私は直ちに社内の改革に着手した。
まず手がけたのは、肥大化してしまった経費の削減と、長期計画の軌道修正であった。
1996年6月に新しい事務所に引っ越してきて、まだ一年しか経っていなかった。しかし175坪のフロアーと月300万円の家賃は、経営に重くのしかかっていた。
当時の事務所のフロアの形はL字型に折れ曲がっており、100坪と75坪に別れていた。そのためテナント会社に片方の75坪を返却したいと申し入れたが、そんな都合のいい要請は受け入れられるはずもなく断られた。
しかたがなく、不必要なものは片っ端から解約・解除していった。一番大きかったのは保険であろう。いつ私がいなくなってもいいようにと、会社で3億円の死亡保険が掛けられていた。私もよくそんな保険に入ったものだと、今から考えると笑ってしまうが、実に月20万円以上のお金が保険に掛けられていた。
また、あまり使われていなかった営業車の数を半分に減らしたり、地道なコストカットを行ったが、あまり大きな効果を上げられなかった。
3ヵ月後、9月になってテナント会社から急な相談が入った。
「ビジコムさん、引越したいと、言ってましたよね」
別に引っ越したかったわけではなかったが、家賃の安いビルに引っ越したかった。その当時いた池袋ビルは、立地も家賃も申し分なかった。
テナント:「来月の10月までに引っ越しませんか?」
私:「え?」
なんと、たった一ヶ月で引っ越せ、と言う。
色々と話を聞いていると、業務拡張をしてる会社があって、ここのビルを借りたいと申し出ているらしい。当社が借りてたスペースは2階で、当時1階と3階が空室であった。ビルを借りたいといってる会社は、その1階、2階、3階の全部のフロアを使用したいため、当社が引っ越せば、その会社を誘致できるのだという。
あまりに唐突で虫のいい話だったので、しばらくほっておいたが、担当者は毎日足を運んできた。そしてそのたびに当社に有利な条件が整っていった。
有利な条件が整った1997年10月、引越しの話があって一ヶ月もしないうちに、同じテナント会社が持っていた別なビル(文京区小石川)に本社を引っ越していた。
たった1カ月で引っ越せというテナント会社もどうかと思うが、その話に乗って引っ越してしまった私もどうかと思った。引っ越した後で聞いた話だが、引っ越してきた会社は、ドコモであった。確かにサンシャイン近辺には、ドコモ関係の事務所がたくさん存在してた。道理で業務拡張してたし、そういえば通信関係って言ってたような。ドコモだと知っていればもっといい条件を引き出せたのではないかと思ったりもする。
新しい事務所は約80坪、池袋のビルに比べ約半分しか面積がなく、駅から遠く不便なとこであった。
入りきれなくなった多くの机や什器を破棄し、家賃も1/3になった。
小石川の事務所は、交通も食事するにも何かと不便なとこではあったが、隣には小石川植物園や桜の名所の播磨坂が隣接し、環境としては申し分もなく、私としては結構気に入った場所であった。それとともに、身の丈以上の背伸びから、身の丈に戻れた私は、安心感があったのだと思う。
結局、次年度の決算は、年間5億円程度の売上の会社で、約1億円の経費の削減がなされた。売上の20%の金額である。今考えても、無駄使いが多かったんだなと思うと共に、よくここまで絞りきれたものだと思っう。
このことは、その後の営業展開に非常に有利なこととなった。高コストな会社運営ではなく、低コストで運用できる。すべてのコストは商品に転化せざるをえないことを考えると、低コスト運営はお客様にも安い商品を提供できることになる。
安い=競争力の増加
この会社運営の低コスト化が、私が当初から考えていたソフトをレンタル(貸出)する営業方法、すなわち「レントウェア」の基礎に結びついていくことになる。


- [2004/08/17 00:12]
- パソコンPOS回想録(2004年) |
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