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WindowsPOS 開発⑦ 

パソコンPOS回想録⑦(1996年)

新しいWindowsのパソコンPOSパッケージの作成は、思った以上に難航した。

当時、当社の主力商品は、MS-DOSで動くPOSパッケージであった。
このパッケージは、すでに1600セットも販売されており、すぐに開発を止められるような状況ではなかった。
お客は、今なお使ってるDOSのパッケージの使い勝手の向上を求めていた。
そのため、DOSのパッケージの開発を止めて、Windowsのシステム開発に開発者を集中させることは不可能だった。
そのため、DOSとWindows両方の開発が行われ、開発者も二倍、当然費用も倍増した。

新しい開発の二重負担の中、私はどうせ新しいものを作り直すなら、「今までの概念にないものを作ろう。」そう思って多くのこだわりを新しい開発ソフトに持ち込んだ。


第一は、レンタルすることが出来るソフト作りであった。
そのためには、コストのかからないソフト作る必要がある。
ライセンスのかかるソフトを用いて開発するのは、開発工数の縮小と手間を省くことが出来たが、それによってソフトの販売時にライセンス費用が発生したらソフトを安くお店で使ってもらうことが出来なくなる。

この当時から、ソフトをレンタルする「レントウェア」の発想が芽生えていた。しかし、このレントウェアの発想は、この当時まだ社員には話していなかった。それは、まだソフトをレンタルするため、いくつかの問題を解決しなければいけなかったからだった。

そして第二は、処理スピードの問題であった。
これはDOSからWindowsに移行する際には、大きく悩ます点である。POSのパッケージである限り、お客様を待たせるわけにはいかない。バーコードを当てて瞬時に計算し処理を行わなければならなかった。

いまのPCであれば、CPUのスピードも増して、大きな問題ではない。しかしながら当時のPCのスペックは、Pentiumの100MHzとか 133MHzとかの世界で、メモリーも32Mから64Mそこそこしか搭載されていなかった。メモリーは追加すれば多少のスピードは速くなるであろうが、コストをかけてスペックを上げたのでは、せっかくハード・ソフト共に安い費用でお店に使ってもらおうと思ってる構想が崩れた。
それにハードの費用が高くなってしまうと、完成した時に販売が苦しくなる。

これは、先日述べたように開発言語を変えることによって解決した。

当時流行のBVでは到底スピードを上げることが出来なかった。
私は、新しいPOSパッケージに、商品マスタ・顧客マスタ共々、10万件のデータを登録しても十分なスピードが得られる性能を要求した。

当時のPCで、10万件の商品データのインデックスを作成するのにVBでは1204秒(約6分)かかった。実験段階でこれだけの時間がかかると、実際の使用には、耐えられない時間だった。

そのため、簡便なVBでの開発をあきらめ、開発に3倍の時間と手間がかかるC++言語を使うことにした。

第三は、情報更新リアルタイム化であった。
最近になって、やっとリアルタイムPOSという言葉が騒がれているが、当社のPOSは開発された当初から、売上から在庫、稼動実績、ポイントまでリアルタイム処理であった。
これは、現在でもそうであるが、今までの専用POSといわれるものが、一日の作業をトランザクションとして溜め込んで、最後にストコンで更新させるような処理がほとんどであった。

しかし、私はPOSの流れからシステムを作成した歴史を持たず、パソコンの延長線上にPOSを開発していたから、クライアント・サーバの考え方は当たり前であった。そのため、販売されたデータはその場でデータベースに更新され、常に新しいデータが参照できる設計であった。

第四は操作性であった。
これに関しては、すでにDOSパッケージがあったので、かなりのノウハウが蓄積されており、ゼロから考える必要もなく、それほど問題にはならなかった。逆に新しいパッケージは古いパッケージのバージョンアップという位置づけで考えていたので、操作性を変えるわけにはいかなかった。

画面設計や操作方法、機能などの設計は、できるだけWindowsに移植するような形で継承された。しかしながら、機能が似てるからとはいえ、OSが違うということは、色々な面で暗礁に立たされた。
開発会議は毎週のように開かれ、次から次に難問が発生した。

それでも、バージョンアップという限りは、古いソフトを超える商品を作成しなければならなかった。

数々の難問を解決しながら、やっとの思いで1998年3月に「BCPOS」が完成した。

そして、その「BCPOS」の販売方法はいままでにない「レントウェア」という特異な販売方法であった。
当時の社内でも販売方法で侃々諤々論争をおこした。がしかし、最後は私の全面的な責任において、私の独断と偏見で決定した。

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POSセンター引っ越し、そして新しい開発⑥ 

パソコンPOS回想録⑥(1996年)

1996年6月
池袋パソコンPOSセンターは、それまでの池袋サンシャイン60の隣のビルから引っ越して、200mほど離れた池袋職案の近くの、住友不動産池袋ビルに移った。

どちらかというと、サンシャイン60の時のほうがかなり目立ってたので、ショールームだけを見ると引っ越す必要性が無かったのだが、新大塚の本社が手狭になったことと、拠点が2箇所に分かれていてかなり不便だったため、本社とショールームを一つにまとめることにした。それにより株式会社ビジコムと池袋パソコンPOSセンターの事務所の広さは、175坪もの面積になりかなりの広さがあった。

今考えるとこの時期が私のなかで一番バブリーだった時かもしれない。相変わらず会社は毎年120%の成長を遂げ、私も来年はまた120%の成長がなされるものだと確信していた。その自信はどこから来たものなのか、今ではさぐりようもないのだが、私の来期の目標は相当なものであった。

どこから聞いてきたのか?その当時は毎週のようにベンチャーキャピタルが訪れ、その数は30社以上にも上った。

ただその時私は、まだ時期尚早だと言う考え方を持っていた。というのも、まだPOSセンターもオープンして一年足らずしか経ってはいないし、ビジネスの柱として位置づけるには心もとなかった。それにその当時稼ぎ頭であったDOSのPOSパッケージも早期にWindows化しなければいけないと考えていた。

その当時販売してたDOSのPC-POSパッケージソフトは、発売からすでに7年以上も経ち、バグもほとんど無く完成尽くされていた。DOSの性格上簡便で、高速で、POSとうい商品であるため、マウスの必要性も無く、操作性も悪くは無かった。
OSの変化の流れさえなければ、このままずっと販売続けそうな気がしていた。

しかし、すでにWindows95は世の中に販売されていたし、次のWindows98の開発状況もちらちら見えてきてた。

もしその当時、何の疑問も無く、このまま成長が続けられると考えていたならば、今のビジコムはあり得なかったであろう。いつものように将来の不安がよぎり事務所を広げた後、すべての行動が慎重になった。

私は新しいWindowsPOSシステムの開発を急いだ。新しい開発のメンバーを補充し、社内にはWindowsの開発チームと今までのDOSの開発のチームの二つが混在した。

Windowsの開発は、思った以上に難航を極めた。当初VBでの開発を試みたが、わずか半年で挫折した。当初使用を考えていた当初のMSのJetエンジンは、一度データが壊れると二度と使えない代物だった。POSのデータベースとして使用するにはあまりに危険すぎた。
それまで作っていたDOSのパッケージの完成度があまりにも高かったため、設計の段階でスピードが全然追いつかないことが判明した。あまりにWindowsの環境が重たすぎたのである。

そのため、半年たってそれまで作り上げたものすべてを破棄し、ボーランド社のC++Buliderで開発を行うこととした。C++Buliderはその当時まだ出たばかりで、多くの困難が予想されたが、C++言語であるためスピードにおいては満足のいくものであった。

私の頭の中には、当社が生き残るための重要な戦略が、この開発の中に秘められていた。