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会社設立回想録2 退社前(営業が好きになる) 

20年目の独り言 2 退社前(営業が好きになる)

1985年、23歳で入社したベンチャー、結局は一年でやめてしまうのだが
私があえて大企業へ行かずベンチャー企業を選んだのは理由があった。

その当時、いくつかのベンチャー企業が上場し、持ち株を持つ社員が億万長者になるという話題が持ち上がってた。
その当時上場した会社は、タケダ理研工業(現在のアドバンテスト)、長府製作所など、
今のITブームとはまた違った活気が溢れていた。

大企業で限られた仕事をするより、いろいろな仕事をしてみたかった。
中小のベンチャー企業なら、いろいろな仕事を任されるに違いないと思い込んでた。

私が就職したのは日本システムハウス株式会社という企業、
当時、150名ばかりの会社で、その7割近くがハードやソフトの技術者、
大手企業のR&Dを請負い、多くの基板や内部ソフトウェアを開発していた。
私が一番興味を持ったのは、リームーバブル(着脱式)ハードディスクドライブの製造、米SyQuest Technology(サイクエストテクノロジー)社からライセンスを得てたものだった。
銀行や生保から出資して集めた資本金が14億円、会社の規模からしてあまりにも多かった。
当時太陽神戸銀行の元専務が副社長を勤め、必ず上場するだろうと思ってた。

私は迷わずその会社に就職した。

入社後に三ヶ月の新人研修が終わり、
私は思いもしなかった部署、営業推進部に配置された。
当時私は入社の動機として、上場にかかわる仕事をしたいと強く要望していた。
人事もそれを了承していたので、当然、それに関わる総務・企画に近い部署に配属されるものだろうと思っていた。

営業推進部への配置はしばらく納得がいかなかった。
しかし、ある日を機会に営業という仕事が好きになっていった。

私が営業することになったのは、
私が興味を持っていたリームーバブル(着脱式)ハードディスク
着脱式でメディアが交換できるといっても、
当時交換できるメディアはたったの5MBだった。
市販されていた固定式ハードディスクが、まだ20MBの時代でもある。
その着脱式のハードディスクドライブ2連の機械を、当時63万円で売っていた。
ちょっとした軽自動車が買えるような値段であった。

営業に配属されて2週間ぐらい経ったころ、
私は展示会で集めた名刺へ電話し商品紹介のアポイントを取っていた。
その中に中央区佃島の石川島播磨重工業(IHI)があった。
アポを取ったのはIHIの情報システム部の部長
私は当時まだ、上場企業の部長がどの程度の地位なのかあまり理解していなかった。

IHIに訪問し商品のある程度説明が終わった段階で、部長が一言言った。
「中馬さんは、うーん、凄く若いように見えるんだけど、もう何年ぐらい営業をやってるのかなー?」
私はあまり質問の意味が理解できなかった。
部長は言葉を継ぎ足した。
「いや、話だけを聞いてるとベテランの営業マンのように思えるんだが
顔を見て話を聞くと新入社員にしか見えないんだよ。どっちなのかな?って思って・・・」
私はやっと意味を理解して答えた。
「私は新入社員で、まだ営業に配属されて2週間しか経っていなんですよ。」
すると部長は、
「いやー、やっぱりそうだよねー、でも君は営業に向いてるねー。」

この出来事は、私の考えを根底から変えた。
もしかしたら、自分は営業に向いているのかな?
確かに部長の言うように、私に向いてるかもしれないと。
それからの私は、営業が好きになっていった。

私は、営業マン=セールスマンというイメージでしか考えていなかったのだが
いざ、営業をこなしていくと、奥が深く非常に頭を使う仕事だと感じた。
商品のできばえだけではなく、営業の企画次第でお客は商品を買うし
営業マンがだめなら商品は買ってもらえない。
大きな意味で物が売れるか、売れないかは、営業マン次第なのである。
いつの間にか私は営業が天職だと思うようになっていった。

続く


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