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会社設立回想録5 創業(金無い、地位無い、女房ない) 

20年目の独り言5 創業(金無い、地位無い、女房居ない)

「会社を作ります・・」とは言ったものの
それを信じるものは誰もいなかった。

会社を辞めるとき
他部署の部長に、「お世話になりました」と挨拶に行ったものの
部長はろくに目もあわそうとせず、めんどくさそうに「あ、そう」と一言。
こんな人たちと一緒に仕事をしてたのかと思うとがっかりした。

ちなみにもといた会社は、2~3年前に
資本金3千万程度の会社に吸収合併されたと聞いた。
資本金14億の会社がどうやったら、3千万の会社に吸収されるんだろう?
あのまま会社に残ったとしても、ロクな人生を歩めなかったことは確かだった。

会社を辞めた翌日の1986年3月21日
学生時代から住んでいた練馬区小竹町(江古田)の
6畳+1Kのアパートが事務所になった。

創業当初は、
軍資金が社会人1年間で貯めた30万円、
360ccのホンダライフ(軽自動車)が営業車、
ソニーの留守番電話機が事務員になった。

大見栄を切って会社を辞めてしまったものの
私には金も無く、地位も無く、
今から考えるとあまりにも無謀な賭けだった。

ただ、私はまだ24歳で一人身で、
失うにしても何も無い。ゼロに戻るだけだ。
今から考えると、失うものが少ないから頑張れた。

30万円の元手は生活費1ヶ月15万円、
家賃、食費を払ったら2ヶ月で使い果たしてしまう。
2ヶ月間飛び込みをやって、持金が尽きたら
またサラリーマンに戻ればいいとう気持ちもあった。

私は会社名を「オーゼット販売」とした。
仕事内容は前職で企画したレンタルシステムの販売だった。
レンタルシステムを作る「オーゼット」に販売だけをつけただけの
安直な名前ではあったが目的ははっきりしていた。
システムを紹介するチラシを作り、レンタル店を見つけては飛び込んだ。
前職の飛び込みの経験は、ここでは大いに役に立った。

毎日レンタル店を探しながら車を走らせた。
当時はまだ、そんなお店の一覧なんてあるはずも無い。
電話帳のイエローページには、貸布団、レンタカーはあっても
レンタルビデオなんて項目、分類はなかった。
電話帳に項目、分類が出来るまでが勝負だと思っていた。

毎日毎日車を走らせたが、なかなかお店は見つからなかった。
当時は今のようにメイン道路のそばにあるわけでもなく
駅前の少し怪しい路地裏のなかにお店が散在した。
それだけまだ、アダルト、コピーが中心の業界でもあった。
ただ、飛びこんだお店では、意外と話を聞いてくれて、
一時間、二時間話し込むのも多かった。
まだまだシステムでお店に飛び込んでくるのは珍しいほうだった。

ある日、車が故障した。
修理に出したが1週間くらいはかかると言う。
車なしでお店を探すのは一苦労であった。
お店を見つけるのに、どっちの方向にあるのか解らず
地図を見ながら何キロも歩き続けた。
パンフレットを入れた重たい鞄が腕を麻痺させ、転職を後悔させた。

回ったお店は、話は聞いてくれるものの
反応は少なく、なかなかいい返事はもらえなかった。
退社して2ヶ月くらい経つ頃になると、ガソリン代、コピー代
少ない軍資金が底つきかけていた。、
そろそろ、就職先を探さないとまずいかな?と思い始めていた頃、
一度訪問して話をした、大泉学園のお店から電話が掛かってきた。

「もう一度話を聞きたいんだが・・・」


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