会社設立回想録15 ネットはじめ
20年目の独り言15
1994年は一年を通して変革の多い年であった。
5月には本社を文京区大塚5丁目に移転した。
それまでは、23坪のフロアを6階と5階で2フロア借りていて
いつも階段の上り下りをしてて効率が悪かった。
ワンフロア66坪の事務所は景色もよく居心地も良かった。
引越しの翌月にはインターネットの回線を本社に引いた。
実は、その当時は私もインターネットがよくわかってなかった。
まだWindows95も出ていない時代である。
かろうじて私はWindows3.1をいじってた程度だ。
しかし世の中が徐々にインターネットの時代だと叫ばれてた。
インターネットを知るにはインターネットを導入するしかないと思った。
私は雑誌や参考書を買いあさり、
Winbiffというメールソフトを作ってたオレンジソフト社を介して
アーキテックアンドアーツというプロバイダに発注した。
アーキテックアンドアーツと我が社をつなぐには
両社の回線の先端にルーターが一台ずつ、計2台必要だった。
ルータと言う言葉もこの時初めて知った。
シスコのルータだと一台50万円もすると聞いたので、
まだあまり実績の無いヤマハのルータを買った。
それでもRT101iと名付けられたヤマハのルータはそれでも一台20万円もした。
回線はISDNの64Kだったが、回線の使用料も月額20万位した。
オレンジソフトの人間が来て、回線をセットしていった。
セットする様子を横で見てて、
nslookupというコマンドを叩いて国内のあるメーカにアクセスしたとき
ロンドンやロス経由で情報が来ていることに驚いた。
当時のアーキテックアンドアーツは、値段が安かったため
国内の中継地が無く、海外にしか回線がつながってなかった。
そのため、国内の情報であってもすべてが海外経由で送られてくる。
しばらくそれが、理解できなかった。
「メールってなに?」ってオレンジソフトの人間に聞いたのも覚えてる。
これこれこういうもので、と説明を聞いたのだが当時はよくわからなかった。
その当時は、メールする相手がいなかったので理解が出来なかったのである。
今は多くのやり取りでメールを使っている。
こんなに急激に変化するとは思っても見なかった。
本社にwindowsNT3.15のサーバーを立ち上げて
モザイクと言うブラウザを立ち上げてみた。
当時はまだネットスケープもIEも存在しなかった。
それでも画面に文字や画像が表示されることを驚異の目で見てた。
サーバに使ったパソコンはペンティアムの75MHz、メモリが32MB
当時、当社ではほとんどNEC98ばかりだったので
初めてのDOS/V機だった。
数ヶ月して、WWWの稼動に着手した。
WWWサーバーは、EMWAC HTTPSというソフトを使った。
当時、NTサーバーでWWWを立ち上げるのは珍しかった。
メールサーバーはEMWACのIMSというソフト
DNSサーバーもBINDを使用した。
説明文もすべて英文で苦労したが、
立ち上げてみるとあっさり動き、軽快であった。
検索エンジンもまだヤフーなどは無く
NTTディレクトリという、NTTのホームページだけが頼りだった。
このサーバーは、スバムメールの餌食になる1997年まで使用した。
設置当時はウイルスもスバムも無い平和な時代だった。
インターネットの導入は、すべてが目新しく、新鮮であったが
早すぎた導入でもあったために、ホームページが出来てしまってからは
しばらく放置してしまった時代があった。
2000年を過ぎて、お客様に
ビジコムのHPは内容は手作りみたいだね、って言われて初めて気づいた。
確かに私が一人で書き上げて手作りだった。
HPが珍しい時期から、あたりまえの時代に移り変わっていた。
HPが企業の顔へと変化してたのであった。
1994年は一年を通して変革の多い年であった。
5月には本社を文京区大塚5丁目に移転した。
それまでは、23坪のフロアを6階と5階で2フロア借りていて
いつも階段の上り下りをしてて効率が悪かった。
ワンフロア66坪の事務所は景色もよく居心地も良かった。
引越しの翌月にはインターネットの回線を本社に引いた。
実は、その当時は私もインターネットがよくわかってなかった。
まだWindows95も出ていない時代である。
かろうじて私はWindows3.1をいじってた程度だ。
しかし世の中が徐々にインターネットの時代だと叫ばれてた。
インターネットを知るにはインターネットを導入するしかないと思った。
私は雑誌や参考書を買いあさり、
Winbiffというメールソフトを作ってたオレンジソフト社を介して
アーキテックアンドアーツというプロバイダに発注した。
アーキテックアンドアーツと我が社をつなぐには
両社の回線の先端にルーターが一台ずつ、計2台必要だった。
ルータと言う言葉もこの時初めて知った。
シスコのルータだと一台50万円もすると聞いたので、
まだあまり実績の無いヤマハのルータを買った。
それでもRT101iと名付けられたヤマハのルータはそれでも一台20万円もした。
回線はISDNの64Kだったが、回線の使用料も月額20万位した。
オレンジソフトの人間が来て、回線をセットしていった。
セットする様子を横で見てて、
nslookupというコマンドを叩いて国内のあるメーカにアクセスしたとき
ロンドンやロス経由で情報が来ていることに驚いた。
当時のアーキテックアンドアーツは、値段が安かったため
国内の中継地が無く、海外にしか回線がつながってなかった。
そのため、国内の情報であってもすべてが海外経由で送られてくる。
しばらくそれが、理解できなかった。
「メールってなに?」ってオレンジソフトの人間に聞いたのも覚えてる。
これこれこういうもので、と説明を聞いたのだが当時はよくわからなかった。
その当時は、メールする相手がいなかったので理解が出来なかったのである。
今は多くのやり取りでメールを使っている。
こんなに急激に変化するとは思っても見なかった。
本社にwindowsNT3.15のサーバーを立ち上げて
モザイクと言うブラウザを立ち上げてみた。
当時はまだネットスケープもIEも存在しなかった。
それでも画面に文字や画像が表示されることを驚異の目で見てた。
サーバに使ったパソコンはペンティアムの75MHz、メモリが32MB
当時、当社ではほとんどNEC98ばかりだったので
初めてのDOS/V機だった。
数ヶ月して、WWWの稼動に着手した。
WWWサーバーは、EMWAC HTTPSというソフトを使った。
当時、NTサーバーでWWWを立ち上げるのは珍しかった。
メールサーバーはEMWACのIMSというソフト
DNSサーバーもBINDを使用した。
説明文もすべて英文で苦労したが、
立ち上げてみるとあっさり動き、軽快であった。
検索エンジンもまだヤフーなどは無く
NTTディレクトリという、NTTのホームページだけが頼りだった。
このサーバーは、スバムメールの餌食になる1997年まで使用した。
設置当時はウイルスもスバムも無い平和な時代だった。
インターネットの導入は、すべてが目新しく、新鮮であったが
早すぎた導入でもあったために、ホームページが出来てしまってからは
しばらく放置してしまった時代があった。
2000年を過ぎて、お客様に
ビジコムのHPは内容は手作りみたいだね、って言われて初めて気づいた。
確かに私が一人で書き上げて手作りだった。
HPが珍しい時期から、あたりまえの時代に移り変わっていた。
HPが企業の顔へと変化してたのであった。
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- [2006/08/29 09:00]
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