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google mapに夢中 

先月ぐらいからいろいろ興味があって
google mapをいじってみてたのだが
だんだん理解が進んできて、いろいろなことが出来るようになってきた。
(私はプログラマでは無いので、さわりだけですが・・・)

一番やりたかったのは、当社のユーザ(店舗)様の地図表示
5000店舗のお店がどのように分布しているのかだ。
さすがに全店全国表示は無理で、県単位、業種単位での表示ではあるが
社内でいろいろ検討して、出してみた結果がこれ、



サンプルは大阪府のお店ですが、ちゃんと大阪府の形してる。
(さすがに山中には無いけど・・)
それと、自社POSの導入がこんなに多かったんだと実感。
どの地域が弱いのかも一目瞭然。

なんかいろいろなことに使えそう。
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プロフィール更新 

ミクシイ上のプロフィールを追加更新してみた。
仕事を始めるまでの自分を大雑把にまとめてみたが
あまりいいこと書けないなー

なんかの大会で優勝したとか、賞状を貰ったとか
そんな気の利いたものが何も無い。
賞状は、小学校二年のときに貰った写生大会の「ぺんてる賞」ぐらいかも。

あとは怪我ばっかりして
自分って、結構やんちゃだったのかも・・・

■中馬浩の生い立ち
昭和36年12月9日、国立岩国病院で生まれる。
3歳の頃、味の素で線路を作って怒られる。
川下保育園の頃、
3歳から6歳まで岩国市営バスにて一人でバス通園、神童と呼ばれる。
5歳の頃、
保育園で座頭市の真似をし、目をつむり歩き回り、部屋の角で眉間の下を強打し出血、眉間の下には今でも2cmほどの傷が残る。
小学校一年の頃、
作業場の倉庫の一階の屋根から飛び降り、針金に足を引っ掛け大怪我、いまだ右足には大きなきっぽが残る。
この頃から、
神童のメッキが剥がれ普通の小学生に。
灘小学校、灘中学校、岩陽高校を経て、父親と進路の意見が合わず東京に家出。
(父は地元国立、私は東京私立を希望)
東京の早稲田ゼミナールにて一年浪人。
父親の援助を得れなかったため、家賃、予備校代、風呂代含めて貯金のみの一ヶ月5万円での生活で、極度の貧乏を経験。今でもこの経験は財産として残ってる。
明治大学政経学部経済学科入学。父親と和解。
4年間、授業よりも社会勉強(特にアルバイト)をたくさん経験し、無事に卒業。
ベンチャー、日本システムハウスに就職、一年で見切りをつける。
脱サラの上、起業、現在の株式会社ビジコムに至る。


割り切りの早いのは、結構いけてる性格かもね。

やれることは全部やる 

SNSのある人とのメッセのやり取りの中で
私自身はあまり意識はしていなかったのだが
来期は20周年だね、って会話があって

20年目の独り言、なんて書いてたもんだから
すっかり私は終わったものだと考えていたが
法人になって来期が本当の20周年
(個人創業からは21年目になるが・・)
なんか大々的にアピールしてもいいかなって思ってきた。

そう考えてみると、先月
営業企画との打ち合わせの中で
来期の目標計画として打ち出して配ったものがあったな、と
発表してもパクられる物ではあるまいし
ここでぶちまけてみることにした。

タイトルは

「やれることは全部やる」
1万店舗、ASP2000店、年商10億、に向けてのプログラム
まず、出来る事から始めよう、そして可能なことから、そして不可能への挑戦。

内容は、やる項目しか書いてはいないが

CI(コーポレートアイデンティティ)
プレスリリース
WEB(HP改正)
SNS(mixi他)
SEO
展示会(リテイルテック、その他)
資料作成(リニューアル)
プレゼン資料
提携(PCA、応研、弥生、全文連)
代理店(代理店整理、支援)
広報宣伝(ネット、新聞、雑誌)
求人(新規採用、中途採用、若返り)
持ち株会
ネット連携
サポータ作り(ユーザーとのコミュニケーション作り)
20周年企画
20周年記念行事

最初は「全部やる」だったのが、妥当な線で
「出来ることは全部やる」→「やれることは全部やる」に落ち着いた。

その内容に、ちゃんと自分で20周年企画って書いてる。
まずは20th記念マークでも作るか。。。

最終は目標達成して、記念パーティーなんだけど
あくまで目標達成後、ということで。。。

有言実行できたらいいなー。

生命保険の健康診断 

今月は決算末、

朝、生命保険に入るため
私の健康診断でお医者様が来社。
私の部屋で、問診、打診、聴診、血圧、脈拍、心電図、
ここまでなら、今までも部屋の中でおこなってはいたが

今回は採血に尿検査まで・・・、

私は注射が苦手。
保険の営業ウーマンに採血は聞いて無いよ~って愚痴ってみても
取らないと保険が通らないらしい。

エー、ここまでやるの?と思ったが、
仕方がなく目をつぶってしぶしぶと採血、

尿検査もお医者様がトイレの側まで同行
単にコップを渡しやすいためについてきたのだと思ってたが
後で聞くと、他の人のサンプルと差替えられないようについて来るのだと

結果、
少し血圧が高めで、ギリギリらしい
最近ウエイトも塩分も抑えてるんだけど
まだまだ足りない。。。。。

まあ、決算対策と私に何があっても会社が困らないように
しぶしぶと生命保険に入る。
これも私の仕事だとして、半分あきらめている。


決算前 

前回書いたブログから、20日以上も空けてしまって
私の悪い癖が出ている。
のってる時は一気に書き上げてしまうのだが
一部詰まってしまうと、そこからなかなか先に進もうとしない。

しばらく時間を開けることで、また内容がふつふつと湧き出るのだが
過去の回想録で1995年と言うと、会社のちょうど絶好調のとき、
いいときっていうのは、なかなか覚えていないもんで
苦労したとか、大変だった、って言う記憶のほうが鮮明に覚えてる。

1995~1996年って何してたっけ?なんて
思い出すのが大変で、書くのに詰まってしまった。
まあ、思い出しながら、書いていくことにしよう。
もう少し経った1997年には、一気に崖から突き落とされるような
大変な時期だったので、書くことはたくさんある。
ここを乗り越えれば、書くことはたくさん出る。

ところで、今月は決算、
毎年のことではあるが、年々一年が早くなってくる感じがする。
今期が19期目なので、法人としての決算は19回目
(創業からは20年経ってはいるが・・)
毎年、毎年の決算に一喜一憂が多い。

今期の決算は、どうにか前年対比110%は超えそうだが
目標の120%には届くか届かないかが微妙だ。
とはいえ、1998年以来9期連続黒字で来られたのは
私どものお客様に感謝するしかない。

私の考えは、150%~200%以上の成長は元から望んでいない。
急激な成長は、当然ピークが来るのが早く、
その後急激な降下も確立として高くなる。

私の目の前で名だたる企業が急上昇して成長し、
そして、10年もしないうちに消えていった。
乱高下の激しい成長は、私の経営方針としては望まない。
だからこそ、120%前後の成長が、緩やかな成長で望ましい。

いきなり、売上が上がって、資金調達ややりくりに苦労とか
赤字になるよりは全然ましと言えばそれまでだが、
黒字と言っても微妙な増加と言うのもなかなか難しい。

利益を出せば当然、法人税もかかる。
法人税率は約42%ぐらいなので、
1000万の利益を出せば420万も税務署に持っていかれる。
法人税を払うのがもったいなくて、できるだけ経費を使おうとすると
利益といっても売掛金を含んでの話なので、
当然それだけのキャッシュが十分にあるわけではなく
今度はキャッシュが少なくなり、後の資金繰りに苦労する。

少しずつ会社が大きくなって、売上が増えるのはいいんだが
それにともない、経費も増加していく。
それに繰越利益も作っていかないと
会社の体力をつけることは出来ない。

社内機材の入替えや、先行投資もおこないたいと思うが
思い切って使うことも出来ず、微妙な黒字に終わりそうだ。
何度決算をむかえても、この時期の微妙な舵取りには神経を使う。

この感じだと決算賞与も微妙かな・・・

あ、ここ社員も見てるよね。
がんばって、最後の追い込みで120%目指そう。