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土曜日は花見にて 

少し早く訪れた春で東京の桜は満開、
しかし、朝から少し肌寒い季節が早春の色に染めてる。
桜は満開なのに、肌寒いだけでなく空もどんよりと曇り、
少しばかり今年の桜は賑わいがない。

毎年花見に訪れた文京区の小石川植物園は、
直前に父親が家族を刺し殺すと言う凄惨な事件が傍であった為、
あまり行く気がしなかった。
まだ、マスコミもそのあたりをうろちょろしている事であろう。

そこで急遽訪れたのが鳩山会館、
会社からも近くであるのに行ったことがない、
ちょうど鳩山会館の登りの坂道は桜で満開のため、
中に入ってみることにした。


ここは昔、前総理大臣の鳩山一郎の屋敷、
今の鳩山由紀夫、鳩山邦夫の実家でもある、
多分二人の家もそばにあるんだろう。


会社のある江戸川橋駅から5分ばかり歩いたところに、
音羽御殿と呼ばれる建物がある。
大きく二つ曲がりに登っていく坂道には、
大振りの桜の木が満開である。

大正時代に立てられた建物と庭は結構なもので、
これが都内のど真ん中に存在することは凄い。
中に入ったのが遅い時間だったので、
それほどゆっくりすることが出来なかったが、
いい意味で花見をかねてゆっくり出来た。

少し入場料の500円は高いとも思ったが、
一度は入ってみるのもいい。

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ニコニコ動画デビュー<ビジコムピピ初音ミク版> 

リテイルテック2008が終わった頃、
私のブログに「他称・失脚」さんと言う方からコメントが入っていて、
思わずまたいつものズバム系のコメントだと思ってよく見たら、
下記のメッセが入ってた。

<--以下、他称・失脚さんのメッセ-->
私、「ニコニコ動画」という動画投稿サイトにて動画を投稿している他称・失脚と云う者です。
この度、中島様の「初音ミク」を使用したCMに感銘を受けまして、誠に勝手ながらピアブロにUPされていたMP3データと御社のPRコミックを素材に動画を製作・投稿してしまいました。

偶然「ボーカロイドにゃっぽん」というSNSコミュにて御社CMの話を聞き、数百万円の制作費をかけずとも、ちょっとのVOCALOIDと編集ソフトの操作法やマスタリング、イラストや写真といった素材を創作・運用・統合するセンスがあれば(別に一人がこれら全てを持たなくてもコラボのように持ち寄ることでも良い)わずかの出費と時間でこういったものが作れるのではと考え至り、「本来意図された初音ミクの使われ方の一例」というのも当動画の製作意図の元、本来の使い方をすると名前を出せないVOCALOIDが俳協所属の中村啓子さん(時報、JR車内放送他いろんなところでアナウンスを担当)のように「誰もが聞いたことのある無名の声のプロ」として街中に彼らの声があふれる日がここから始まるのかな・・・と想像しながら作りました。
以下省略-->

つまり、前回作った初音ミクのCM版から、ニコニコ動画を作成したという報告でした。
そして、私が硬い人だと思われたのでしょうか?結構恐縮されていて、
タイトルも「・・・勝手に動画版」、コメントに「関係者の皆さんごめんなさい」

いえいえ、全然OKです。(←日本語になってないけど)
こうやって、話題になっていくことは、ネット上では十分に想像されたし、
できばえも、あまりに良すぎて、感動。

そのコメントを見て、ニコニコ動画を見てみると、
すでに600回も再生されており、いろいろなコメントが入ってた。
その内容がこちら、
【ニコニコ動画】【初の付くヒト】はじめてのCM出演【勝手に動画化】



そしてこの動画関係を見てたら、新たなことが発覚、
岡山で初音ミクがしゃべるFMラジオのCMが始まった?始まらない?
「初音ミクみくらぶ」というサイトで、今回のCMのことが取り上げられており、
話題になっていた。

おそるべし、初音ミク。
もう、すっかり私も初音ミクのファンになってしまった。



PS、
この話題は、本当は先週あたりから触れたいと思ってたのだが、
ニコニコ動画の動画を、ここに貼り付ける方法を、
調べる時間が無く、今まで引っ張ってしまった。

今週は福岡 

今週は日曜の頭から福岡出張だった。
訪れたのは、大蔵大臣という会計ソフトを出してる応研株式会社

当社のBCPOSと応研の販売大臣がERP連動したのを受け、
営業関連各部署へのそのご挨拶にと訪問した。

こちらは、担当部署の役員にご挨拶した後、
夜、懇親で食事でもと誘われていたので、
軽い飲み会のつもりであったが、
昼のご挨拶といい、夜の会食といい、
応研の原田社長直々ご出席いただき、
非常に有意義な時間が過ごせた。

応研の原田社長は、とても大らかな親分肌で、
何事にも前向きで、周りの信頼も厚く、
とても明るい信頼のおける社長だった。

夜は福岡市内の老舗懐石料理のお店で、
3時間近くも色々なお話をさせていただく。
原田社長と共に上野、岸川、両取締役もご出席され、
大変有意義な時間が過ごせた。

POSシステムと販売管理の連動は、
お店を経営している人であれば凄く結びつきが強いのがわかる。
お店で売り掛け(つけ)が発生する販売店であれば、
必ず必要になる機能でもあるから、
これから益々POSと販売管理の連動は増えていくであろう。

ビジコム、応研両者の関係は、
益々深まっていくものだと思われる、

そういう意味で今回の訪問は、
そのトップである原田社長と直にゆっくりお話が出来たことは、
非常に有意義な時間であった。


写真は応研の本社、日銀福岡支店の隣にそびえる立派なビルでした。

リテイルテック最終日 

そろそろ体にきしみが出てる頃、
展示会4日目はそんな時期だ。

主催者の発表だと、ビックサイト会場全体で

3月4日(火) 晴れ 46,263人(46,479人) 46,263人
3月5日(水) くもりのち晴れ 60,698人(62,868人) 106,961人
3月6日(木) 晴れ 77,598人(75,213人) 184,559人
3月7日(金) 晴れ 76,029人(80,157人) 260,588人
合計※カッコ内は昨年 260,588人(264,717人)

最終日は、夕方4時過ぎから雨になったが、
どうにかもった会場は、人が途切れることがなかった。

今回の展示会用に用意した袋詰めのパンフレット4100部は、
すでに3日目で完売し、慌てて追加1000部を組みなおした。
それでも最終日夕方頃には間に合わず、
受付カウンターで、袋詰め作業をしながらの接客となった。

しかし、夕方4時には6000部用意した袋が完売、
仕方がなく、
粗品で用意したBUSICOMボールペンを配り始めると、
たった30分足らずで1500本を完売、
最終日の終了時間4時半には、もう配るものが何もなかった。

どうにか、お客様にも満足な結果がもたらされた様である。
私も4日間の満足感に満ちた気だるい疲れが、
気持ちの中で充満してた。

祭りの後の気だるさって感じだろうか?
充実感の中にも、ちょっと終わってしまったなって感じ。

ただ、終わった時間が、またスタートである。
この後のちゃんとしたフォローが、今後に結びつく。
一歩一歩踏みしめて進むだけであろう。

リテイルテック 3日目 

今年のリテイルテックは熱い。
気温がという意味ではなく、本当に熱いのだ。

ここ10年間、リテイルテック(SAショーを含む)を見てきたが、
こんなにお客様に熱望された展示会は初めてだ。

会場の来場者の人数は、下記の通り
3月4日(火) 晴れ 46,263人(46,479人) 46,263人
3月5日(水) くもりのち晴れ 60,698人(62,868人) 106,961人
3月6日(木) 晴れ 77,598人(75,213人) 184,559人


会場全体で、今日は77千人来ている。
どおりで人が多いはずだ。

今年は具体的な商談が多い。

去年までのお客様の多くの反応は、
「うーん、いい商品だね、また検討するよ・・・」だったのが、

今年は、
「○月には全店入れ替えるから、見積もりが欲しい、営業に来て欲しい」って具体的かつ熱望されているのがわかる。

パンフレットも、去年は4日間で3900部ぐらいしか配れていなかったのが、今年はもう3日目で4100部用意したパンフレットがなくなり、慌てて追加用意した。

どうもお店のPOSは、不況の中で入れ替えを先延ばしにしつつも、2000年問題からもう8年目になり、そろそろ限界に来ているようだ。

そして、大手メーカーに見積もりを取ったところ、予想外の金額で、慌てて当社のような安いPOSメーカーを探しているような気がする。

そんなこんなで、あっという間に三日間が過ぎ、明日は最終日。
ずっと立ちづくめで少し足が棒です。
でも、ラストまでがんばります。

リテイルテック2008初日 

とうとう始まったリテイルテック2008、
毎年のことではあるが、朝10時から夕方5時までずっと立ちっぱなし。
それの4日間連日のため、少々ハードな展示会だ。

今日は初日にしては、思った以上にお客様が多かった。
日経主催者の調べだと、初日は46000人、
そこそこの人数だ。

今年の傾向は、少し分散傾向だ。
従来であれば、その時代時代にあった傾向が見えるのだが、
どうも各社まちまちで、POSシステムだけでなく周辺機器も増えてきた。
自動つり銭機やキオスク端末、自販機など、
POS機器以外の周辺機器メーカも多くなっている。

当社ブースは、今年はステージなしで静的にいこうと考えていたので、
派手なステージはなく、展示とパンフレット配布が中心だ。

それであっても、去年あたりから
目的を持って当社ブースに来てくれるお客様が増えてきた。
そのため、本日の成果はかなりの手ごたえ、
他社で高い見積もりを出されたため、相談に来たお客様がたくさんいた。
そして、一度お店に来てくれとのうれしいお言葉もたくさんいただいた。

今年はどうやら不況の中で選択される時代に入ってきてるらしい。


写真は、お約束の、今年のコンパニオンの女の子達、






明日からリテイルテック2008 

明日から当社では毎年恒例の、
リテイルテック2008が東京ビックサイトで始まります。

リテイルテックとは、日経新聞の主催する、
年に一回の流通システムの展示会で、
当社のようなPOSシステムを扱う会社は、
年に一度の大きな舞台になります。

毎年、リテイルに向けてシステムの開発や発表をし、
他社も同じような傾向にあり、いろんな新システムを発表してきます。

今年の当社のテーマは、
「まだ在庫も顧客も見えないPOSをお使いですか?」

去年は「POS&Web2.0」
私自身は非常にわかりやすいテーマで、
流通とインターネットの融合を訴えたつもりだったのだが、
少し、まだ早すぎたのかもしれない。

それを反省して、
今年はわかりやすく、軟弱な路線で行くんだ、と宣言し
マンガを全面的に打ち出し解りやすく、
そしてテーマソングも作り前に打ち出すことにした。


「ビジコムピピ」
のサウンドロゴも作ったし、
初音ミクで作ったCMは、今日からFM岡山で流れ始めた。

次から次に打ち出すアイディアに自分自身がついていけてない。
そこにロックライブなんか行ってるものだから、
アドレナリン全開で絶好調。

この調子で明日からのリテイル四日間乗りきりたいもんだ。

あ、
お約束の当社のコンパニオンの写真、
明日、写真が取れましたら公開します。
ご期待を・・・・

初物つくし好き 

初物づくし

先日、ふと自分を見直してみると
結構私は、初めてであろうことを沢山している。

保育園の頃(3歳)、もうすでに市営バスで1人で通園してて、
その頃のバスはボンネットバスで女の車掌さんがまだいたのを覚えている。
ボンネットバスの方向指示器は、サイドミラーの横から赤い羽が飛び出すタイプだった。
時代としては1964年(昭和39)年あたりだ。

ナショナルRF-888、クーガ(ラジオ)
中学一年のとき(1974年)
中学の入学祝に買ってもらったラジオ、


ナショナルのクーガシリーズの初代であり、このあとBCLがブームになる。
BCLブームとは、
ラジオで遠くの放送局を受信して、その内容記録を報告すると、
そのラジオ局から受信した証明のカードが届くのである。
それを集めるのが一つのブームになってた。
私は、一枚も集めなかったが。

1993年
オリンパスが始めて出した小型一眼レフ、OM-1
これも高校生のときに貯金を下ろして買った。



高校一年のとき(1977年)、
吹奏楽部で富田功のシンセサイザーで作った惑星のアルバムを聞いて、
シンセサイザーが無性に欲しくなり、貯金を下ろして、
ローランドがその当時始めて出したSYSTEM100というシンセサイザーを買った。


その頃、田舎でシンセを持っている高校生は私だけだったと思う。
しかしあまりに早すぎて、その当時のシンセサイザーは、
単音しか出せない、つまり、キーを一つしか押せず和音が出せない。
それにすべての調整がスライド、または回すタイプのボリュームで、
音はメモにボリュームのメモリを書いて残すしかなく、
同じ音を出すことはほとんど不可能に近かった。
そのため、3年もすると飽きてしまい、友達に二束三文で売ってしまった。

1983年
大学三年のとき、大学が御茶ノ水だったので、
当時、授業の合間の空いた時間は、神保町の本屋かよく秋葉原の電気街に遊びに行った。
その当時、8ビットのパソコンが出てきたばかりで、
世の中はNECのPC88派か富士通のFM7派に分かれていた。
私は、PC8801に2DDのフロッピーが二台ついた機種、
MK2が発売された同時に飛びついた。


当時30万近い買い物であったが、私の貯金は底をついた。
2DDのフロッピーとは、5インチの両面で640KBしか保存されない
紙に挟まれた磁気メディアである。
それでも、磁気テープやパンチカードに比べればマシだった。
大学の授業はまだ、パンチカードだったし。
これが私の仕事を始める原点にもなった。

私はこのパソコンを使って
明大政経学部で初めて、ワープロで卒論を出した人間でもある。
当時、ゼミの先生が理解があったのもあり、
どこのゼミでもワープロで卒論を出す人間はいなかった。
ただ、ワープロといってもユーカラというソフトで、
辞書がすべて単漢字変換で、いちいちフロッピーにアクセスし、
「今日」と打つにしても、今(いま)、日(ひ)と、
いちいち訓読みで読み替えて打たなければならなかった。
それと印刷も、8ピンのドットプリンターで、
漢字を打つためには必ず二回ヘットが往復して16ドットで印刷し、
卒論を印刷するのに約一日かけて印刷を行なった。

1986年、
就職して勤めた会社を、16人の同期の中で一番最初に辞めたのも私だし、

1984年、パソコンPOSと言い出したのも私。

1998年、アプリケーションソフトをレンタルし「レントウェア」と名づけて、

2008年、展示会でアニメを流すのではなく、吹き出しを読ませる展示会するのも私。
そして、2008年、初音ミクで初めてFMラジオCMを流すのも私。

まだまだ、初物つくしがありそうな気もするが・・・・

また、思いついたら書くこととしよう。
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