大阪支店移転
少しt経ってからの報告ではあるが、株式会社ビジコム大阪支店を移転した。
大阪支店は1990年に開設して以来、約21年間まかせっきりであった。
それではいけないと思いながらも、私は東京を軸にしてやってきた。
転機になったのは東日本大震災である。
3月11日のあの日、私は
東京ビックサイトに出展していたリテールテック2011の会場にいた。
大きなゆれを感じ、天井から鉄骨が落ちてきて、会場がざわついた。
人々は携帯のワンセグを見て、津波が来ると思い逃げ惑った。
大きな津波が東北地方を襲い、数日で原発が爆発した。
私はそれを転機にこれからの日本社会は明治維新、戦後に続き大きく変わると感じた。
今までの事務所は、11年前に引っ越した新大阪の古いビルだった。
大阪支店は、広く西日本をカバーしている。
エリアで考えれば、東京本社と同等か、それ以上の範囲をカバーしている。
しかし、ショールームもつけたした感じてパッとしてなかった。
お客様にぜひ来て見てください、という感じよりもとりあえず展示してますよって感じだった。
東京本社の広いショールームと比べて明らかに見劣りした。
そしてそれよりも増して
会社においてはBCP危機管理において、東京の一極集中はマズイと感じた。
東京と大阪の売上げの比率は3:1、東京本社と同じくらいのエリアを抱えているのにだ。
エリアから考えれば、近畿、中国、四国、九州、北陸とPOSシステムを納めるには十分なマーケットがある。
だけど、売上げは1/3、規模も1/3、事務所もパッとぜず、21年間ほったらかしてきた。
震災後、私は株式会社ビジコムの本社を大阪に移すことも考えた。
これは福岡に本社を移転したケンコーコムより早かった。
それはしばらく原発が不安定なまま落ち着くことがないと考えたからだ。
これは今でもそう思ってる。
何年も経てば、原発事故を人々は過去のことのように思うかもしれないが、
私は今後数十年間、ずっと続く問題だと考えている。
そう考えたときに、古ぼけた大阪支店をそのままにしておくことができなかった。
いつでも本社を大阪に移転できるように。
2011年9月3日、ビジコム大阪支店は、ニッセイ新大阪ビルに移転した。
現状、新大阪で一番大きな、一番安全で便利なビルだ。
前の事務所と比べると雲泥の差だ。
新大阪の駅から最も近く、近代的で、誰もが知っているビル。
これにより、お客様や取引先メーカー様が気軽に立ち寄れる環境が出来上がった。
東京本社ほどではないが、ショールームも充実させた。
お店の方々が、実際に使われる最新の機器を触って体験して、
納得してもらってから私どものPOSシステム等を長く使っていただきたい。
そんな気持ちを持って大阪支店を移転した。
引越してから一ヶ月ちょっと、徐々にその効果が出てきてると感じている。
私どもがお店様に提案できることは、
お店様が少しでも利益を上げて、長くお店をやっていけるようにシステムの提案をすること。
そこには、お店の負担が増してもいけないし、使いにくくてもいけない。
そして、お店がシステムを使って喜んでもらわなければいけない。
そんな提案を、新しい事務所から発信できればいいかなと思ってる。
現状、私自身は大阪にも住居拠点を作り、約2週間おきに東京と大阪を行ったり来たりしている。
フットワークも軽くなり、西日本の色々な方々とも積極的にお話していきたいと思ってる。
多くの人たちと交流を持ちながらいいシステムを提案できればいいと思う。
大阪支店は1990年に開設して以来、約21年間まかせっきりであった。
それではいけないと思いながらも、私は東京を軸にしてやってきた。
転機になったのは東日本大震災である。
3月11日のあの日、私は
東京ビックサイトに出展していたリテールテック2011の会場にいた。
大きなゆれを感じ、天井から鉄骨が落ちてきて、会場がざわついた。
人々は携帯のワンセグを見て、津波が来ると思い逃げ惑った。
大きな津波が東北地方を襲い、数日で原発が爆発した。
私はそれを転機にこれからの日本社会は明治維新、戦後に続き大きく変わると感じた。
今までの事務所は、11年前に引っ越した新大阪の古いビルだった。
大阪支店は、広く西日本をカバーしている。
エリアで考えれば、東京本社と同等か、それ以上の範囲をカバーしている。
しかし、ショールームもつけたした感じてパッとしてなかった。
お客様にぜひ来て見てください、という感じよりもとりあえず展示してますよって感じだった。
東京本社の広いショールームと比べて明らかに見劣りした。
そしてそれよりも増して
会社においてはBCP危機管理において、東京の一極集中はマズイと感じた。
東京と大阪の売上げの比率は3:1、東京本社と同じくらいのエリアを抱えているのにだ。
エリアから考えれば、近畿、中国、四国、九州、北陸とPOSシステムを納めるには十分なマーケットがある。
だけど、売上げは1/3、規模も1/3、事務所もパッとぜず、21年間ほったらかしてきた。
震災後、私は株式会社ビジコムの本社を大阪に移すことも考えた。
これは福岡に本社を移転したケンコーコムより早かった。
それはしばらく原発が不安定なまま落ち着くことがないと考えたからだ。
これは今でもそう思ってる。
何年も経てば、原発事故を人々は過去のことのように思うかもしれないが、
私は今後数十年間、ずっと続く問題だと考えている。
そう考えたときに、古ぼけた大阪支店をそのままにしておくことができなかった。
いつでも本社を大阪に移転できるように。
2011年9月3日、ビジコム大阪支店は、ニッセイ新大阪ビルに移転した。
現状、新大阪で一番大きな、一番安全で便利なビルだ。
前の事務所と比べると雲泥の差だ。
新大阪の駅から最も近く、近代的で、誰もが知っているビル。
これにより、お客様や取引先メーカー様が気軽に立ち寄れる環境が出来上がった。
東京本社ほどではないが、ショールームも充実させた。
お店の方々が、実際に使われる最新の機器を触って体験して、
納得してもらってから私どものPOSシステム等を長く使っていただきたい。
そんな気持ちを持って大阪支店を移転した。
引越してから一ヶ月ちょっと、徐々にその効果が出てきてると感じている。
私どもがお店様に提案できることは、
お店様が少しでも利益を上げて、長くお店をやっていけるようにシステムの提案をすること。
そこには、お店の負担が増してもいけないし、使いにくくてもいけない。
そして、お店がシステムを使って喜んでもらわなければいけない。
そんな提案を、新しい事務所から発信できればいいかなと思ってる。
現状、私自身は大阪にも住居拠点を作り、約2週間おきに東京と大阪を行ったり来たりしている。
フットワークも軽くなり、西日本の色々な方々とも積極的にお話していきたいと思ってる。
多くの人たちと交流を持ちながらいいシステムを提案できればいいと思う。
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- [2011/10/14 15:59]
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