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岩国にて③ 

2013年7月25日、ビジコム岩国ビルは改装が終了し竣工した。



当社POSシステムのカスタマーセンターとして計画したビルだが、既に4月に岩国にて4名の新規採用をおこない、東京から2名転勤をさせ、計6名にてカスタマーセンターは準備室にてスタートしている。
今回は、その準備室が自社ビルに移って営業を再開した。
新ビル竣工にあたり、25日に竣工レセプションパーティを実施した。






参加者は、訳120名、岩国市副市長や、柳井市長、複数の県議、地元商店街、商工会メンバーや、そして何よりも嬉しかったのは中学時代の同級生や高校時代の同級生の参加、形ばかりではあったが、お披露目としては十分なものであった。








本当にふるさとはいいなと実感した時間であった。






皆さん、どうもありがとうございました。
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岩国にて② 

私が岩国をでたのが18歳の時、浪人、大学へて就職する際に田舎の父は言った。「お前がこっちに戻って来なくてもいいからしっかりやれ」と。
父はサラリーマンだったし家の家業を継ぐようなものも無い、だだ私は一人っ子だったので、遠い将来は介護等で戻ってくる必要があるとも思っていたか、まだ22歳の頃なのでそこ迄は考える必要がない。
帰って来なくていいぞ、そう言ってくれたおかげで東京で思う存分仕事に専念出来たと思っている。
私は今でもその言葉には随分感謝しているし、今の私があるのは、その言葉に十分に答える事が出来たからだと思っている。
今、こういう形で岩国に来る事は、結果的には良かったと考えている。
父も母もまだ元気であるうちに、形ながらも事務所を持てた事は幸運だったと思う。

それと、こうやって今準備を進められているのは、岩国地元の同級生や友人、知人に随分手伝ってもらったと思っている。彼らの情報や支えがなければここまでは進まなかったと思う。
いい意味でも、悪い意味でもふるさと。

岩国にて① 

岩国にて①

1980年(昭和55年)、18歳で高校を卒業して東京に浪人に岩国を出てから、
33年ぶりに岩国に帰ってきた。

帰ってきたとはいっても、年に何回か里帰りでは帰ってきてたが、
2013年、5月29日に正式に駅前商店街の岩国大丸ビルを購入し、
ビジネスとしてしっかりとした拠点を作り、ビジネスが始められる状態での岩国入り。

岩国に帰ってくるまで33年もかかってしまったが、
当初は帰ってくるとは決めていなかったので、帰ってきたこと自体感慨深い。

会社、ビジコムはまだまだ東京に本社を残したままなので、帰ってきたとは言いがたいかもしれないが、
私としては拠点が出来ただけで帰ってきたという実感が沸くのである。

思い返せば2011年3月11日、東日本大震災が起きなければ帰ることすら考え付かなかっただろう。
あの日、東京ビックサイトのイベント会場(リテールテック2011)にて震災に合い、
会社の社員の帰宅困難、東北の津波の惨事、原発の爆発が起きなければ、
たぶん私はこのまま東京で過ごしていたことであろう。
しかしながら、原発の爆発、放射能漏れにて、家族を3/16に岩国に疎開させ、
多少なりともふるさとに長期間接し、戻るふるさとがあることに感謝し、
そして一極集中させてしまってた会社の体制に危惧し、会社の機能の分散、BCP、
大阪支店の移転強化、福岡営業所の拠点開発、岩国カスタマーセンターの開設と、
次々に新しい手立てを講じることが出来た。

5/29に購入したビルは、今現在改装中で、もうしばらく経てば立ち上がることであろう。
その際に、しばらく会っていなかった同級生や友達、近所の知り合いや親戚に、
いままでふるさとをほっておいたにもかかわらず随分お世話になった。

約30年間大阪に行っていた母親も、岩国に戻ってくることになった。
72歳過ぎてからの里帰りである。
これからどのような生活が始まるのか不安ではあるが、中馬家の性格上あくまでも前向きだ。

7月の後半には改装が終わり、事務所開きが行われ、7/25日には事務所開きレセプションパーティーを開催する。

少しばかり、ふるさと岩国を舞台にブログを連続つづってみたいと思っている。

まずは、地元の皆様に感謝を。

中馬浩

続く、、


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