日経を読まない
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私は経営者でありながら日経新聞を読んでいない。
正確に言えば、18歳から38歳まで20年間は読んできたが、
2000年に家を引っ越した際、取らないまま今に至ってる。
とは言いながら、別な新聞は取って読んでいる。
私は日経新聞を読まなくなってなんら不自由していない。
それよりも、
ひとつの新聞記事に踊らされず、
自分の頭の中で考えるようになって、
世の中が見えるようになってきたと思ってる。
以前の私は、20年間も読み続けてきたので、
日経大好き人間だったのである。
学生時代なんか周りに日経新聞を読んでるもの自体珍しく、
友達に日経を読むように薦めていた時期もあった。
それなのになぜ、日経新聞を読まなくなったのか?
最近の日経を読んでいないので今もそうだと断言できないが、
2000年前後から誘導記事があまりに目立ち、
信頼が置けなくなったからである。
新聞をやめた当時、
私は日経新聞の一面を「全面広告」と呼んでいた。
日経の一面に載る=世間が動く、
日経は、あまりに影響力が大きくなりすぎたために、
その記事ひとつで世の中が動かせるようになった。
幅広い意味ではインサイダーになりかねない。
凄くマスコミの驕りを感じえたし、
何よりも問題なのは、中堅企業のマイナス記事は平気で叩くが、
超有力企業のマイナス記事を書かなくなったことである。
三菱自動車、ライブドア、パロマ、クラスは平気で叩くが、
トップクラスの企業が叩かれることは少ない。
不祥事が発覚しても、載せて、べた記事ひとつで終わる。
そして、その記事を読んだほとんどの人々が、
その記事の意図する方向に走り、流動化し、流れが起きる。
経済とは、需要と供給でバランスが取れてしかるべきなのに、
需要ばかりが増し、おのずとブームや価格の変動が起きる。
そんな世界を見続けて、違和感を感じ私はスピンアウトしたのである。
そのうち、ネットでもスピーディーで有益な情報が入るようになり、
あえて日経新聞を読まなくても過ごせるようになった。
私の周りに決定記事がなくなった分、
私はあらゆる舞台、立場で推測をするようになった。
自分だったらどうするか?他人だったらどう考えるか?
べた記事や客観的な事実のみで今後の展開を予想する。
そうすると、不思議なことに裏に隠れている事実が表面化する。
何も書かれていないのに、中身が見えてくるのである。
実際この法律は何を意図したいのか?
この記事はどういう方向に人々を誘導したいのか?
そしてそのマスコミを使って動かす人間たちが出てきた。
そんな状況をずっと続けていると、
最初は日経を読まなくなった不安があったが、
最近では日経を読まない、自分だけが知りえる
アドバンテージを感じることもある。
ただ、絶対読まないのではない。
飛行機の中やホテルのロビーなど、
目に付くところにあれば、それを手に取り目を通す。
たまーに読むと随分新鮮で目新しい。
しかし、まだこんな提灯記事かいてるんだと笑ってしまうときもある。
立場上、日経新聞を読まなければいけない人々も多い。
私はそんな人に読むべきではないと薦めているのではない。
記事を読んで、その内容を自分の頭の中で整理し、
本当にその記事が正しいかどうか判断して欲しいだけである。
早く昔の中立公平な日経新聞に戻らないか?
そうすれば、また楽しく読むことも出来るのにと
考える毎日である。
正確に言えば、18歳から38歳まで20年間は読んできたが、
2000年に家を引っ越した際、取らないまま今に至ってる。
とは言いながら、別な新聞は取って読んでいる。
私は日経新聞を読まなくなってなんら不自由していない。
それよりも、
ひとつの新聞記事に踊らされず、
自分の頭の中で考えるようになって、
世の中が見えるようになってきたと思ってる。
以前の私は、20年間も読み続けてきたので、
日経大好き人間だったのである。
学生時代なんか周りに日経新聞を読んでるもの自体珍しく、
友達に日経を読むように薦めていた時期もあった。
それなのになぜ、日経新聞を読まなくなったのか?
最近の日経を読んでいないので今もそうだと断言できないが、
2000年前後から誘導記事があまりに目立ち、
信頼が置けなくなったからである。
新聞をやめた当時、
私は日経新聞の一面を「全面広告」と呼んでいた。
日経の一面に載る=世間が動く、
日経は、あまりに影響力が大きくなりすぎたために、
その記事ひとつで世の中が動かせるようになった。
幅広い意味ではインサイダーになりかねない。
凄くマスコミの驕りを感じえたし、
何よりも問題なのは、中堅企業のマイナス記事は平気で叩くが、
超有力企業のマイナス記事を書かなくなったことである。
三菱自動車、ライブドア、パロマ、クラスは平気で叩くが、
トップクラスの企業が叩かれることは少ない。
不祥事が発覚しても、載せて、べた記事ひとつで終わる。
そして、その記事を読んだほとんどの人々が、
その記事の意図する方向に走り、流動化し、流れが起きる。
経済とは、需要と供給でバランスが取れてしかるべきなのに、
需要ばかりが増し、おのずとブームや価格の変動が起きる。
そんな世界を見続けて、違和感を感じ私はスピンアウトしたのである。
そのうち、ネットでもスピーディーで有益な情報が入るようになり、
あえて日経新聞を読まなくても過ごせるようになった。
私の周りに決定記事がなくなった分、
私はあらゆる舞台、立場で推測をするようになった。
自分だったらどうするか?他人だったらどう考えるか?
べた記事や客観的な事実のみで今後の展開を予想する。
そうすると、不思議なことに裏に隠れている事実が表面化する。
何も書かれていないのに、中身が見えてくるのである。
実際この法律は何を意図したいのか?
この記事はどういう方向に人々を誘導したいのか?
そしてそのマスコミを使って動かす人間たちが出てきた。
そんな状況をずっと続けていると、
最初は日経を読まなくなった不安があったが、
最近では日経を読まない、自分だけが知りえる
アドバンテージを感じることもある。
ただ、絶対読まないのではない。
飛行機の中やホテルのロビーなど、
目に付くところにあれば、それを手に取り目を通す。
たまーに読むと随分新鮮で目新しい。
しかし、まだこんな提灯記事かいてるんだと笑ってしまうときもある。
立場上、日経新聞を読まなければいけない人々も多い。
私はそんな人に読むべきではないと薦めているのではない。
記事を読んで、その内容を自分の頭の中で整理し、
本当にその記事が正しいかどうか判断して欲しいだけである。
早く昔の中立公平な日経新聞に戻らないか?
そうすれば、また楽しく読むことも出来るのにと
考える毎日である。
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- [2007/11/26 20:36]
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