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初物つくし好き 

初物づくし

先日、ふと自分を見直してみると
結構私は、初めてであろうことを沢山している。

保育園の頃(3歳)、もうすでに市営バスで1人で通園してて、
その頃のバスはボンネットバスで女の車掌さんがまだいたのを覚えている。
ボンネットバスの方向指示器は、サイドミラーの横から赤い羽が飛び出すタイプだった。
時代としては1964年(昭和39)年あたりだ。

ナショナルRF-888、クーガ(ラジオ)
中学一年のとき(1974年)
中学の入学祝に買ってもらったラジオ、


ナショナルのクーガシリーズの初代であり、このあとBCLがブームになる。
BCLブームとは、
ラジオで遠くの放送局を受信して、その内容記録を報告すると、
そのラジオ局から受信した証明のカードが届くのである。
それを集めるのが一つのブームになってた。
私は、一枚も集めなかったが。

1993年
オリンパスが始めて出した小型一眼レフ、OM-1
これも高校生のときに貯金を下ろして買った。



高校一年のとき(1977年)、
吹奏楽部で富田功のシンセサイザーで作った惑星のアルバムを聞いて、
シンセサイザーが無性に欲しくなり、貯金を下ろして、
ローランドがその当時始めて出したSYSTEM100というシンセサイザーを買った。


その頃、田舎でシンセを持っている高校生は私だけだったと思う。
しかしあまりに早すぎて、その当時のシンセサイザーは、
単音しか出せない、つまり、キーを一つしか押せず和音が出せない。
それにすべての調整がスライド、または回すタイプのボリュームで、
音はメモにボリュームのメモリを書いて残すしかなく、
同じ音を出すことはほとんど不可能に近かった。
そのため、3年もすると飽きてしまい、友達に二束三文で売ってしまった。

1983年
大学三年のとき、大学が御茶ノ水だったので、
当時、授業の合間の空いた時間は、神保町の本屋かよく秋葉原の電気街に遊びに行った。
その当時、8ビットのパソコンが出てきたばかりで、
世の中はNECのPC88派か富士通のFM7派に分かれていた。
私は、PC8801に2DDのフロッピーが二台ついた機種、
MK2が発売された同時に飛びついた。


当時30万近い買い物であったが、私の貯金は底をついた。
2DDのフロッピーとは、5インチの両面で640KBしか保存されない
紙に挟まれた磁気メディアである。
それでも、磁気テープやパンチカードに比べればマシだった。
大学の授業はまだ、パンチカードだったし。
これが私の仕事を始める原点にもなった。

私はこのパソコンを使って
明大政経学部で初めて、ワープロで卒論を出した人間でもある。
当時、ゼミの先生が理解があったのもあり、
どこのゼミでもワープロで卒論を出す人間はいなかった。
ただ、ワープロといってもユーカラというソフトで、
辞書がすべて単漢字変換で、いちいちフロッピーにアクセスし、
「今日」と打つにしても、今(いま)、日(ひ)と、
いちいち訓読みで読み替えて打たなければならなかった。
それと印刷も、8ピンのドットプリンターで、
漢字を打つためには必ず二回ヘットが往復して16ドットで印刷し、
卒論を印刷するのに約一日かけて印刷を行なった。

1986年、
就職して勤めた会社を、16人の同期の中で一番最初に辞めたのも私だし、

1984年、パソコンPOSと言い出したのも私。

1998年、アプリケーションソフトをレンタルし「レントウェア」と名づけて、

2008年、展示会でアニメを流すのではなく、吹き出しを読ませる展示会するのも私。
そして、2008年、初音ミクで初めてFMラジオCMを流すのも私。

まだまだ、初物つくしがありそうな気もするが・・・・

また、思いついたら書くこととしよう。
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