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POSセンター引っ越し、そして新しい開発⑥ 

パソコンPOS回想録⑥(1996年)

1996年6月
池袋パソコンPOSセンターは、それまでの池袋サンシャイン60の隣のビルから引っ越して、200mほど離れた池袋職案の近くの、住友不動産池袋ビルに移った。

どちらかというと、サンシャイン60の時のほうがかなり目立ってたので、ショールームだけを見ると引っ越す必要性が無かったのだが、新大塚の本社が手狭になったことと、拠点が2箇所に分かれていてかなり不便だったため、本社とショールームを一つにまとめることにした。それにより株式会社ビジコムと池袋パソコンPOSセンターの事務所の広さは、175坪もの面積になりかなりの広さがあった。

今考えるとこの時期が私のなかで一番バブリーだった時かもしれない。相変わらず会社は毎年120%の成長を遂げ、私も来年はまた120%の成長がなされるものだと確信していた。その自信はどこから来たものなのか、今ではさぐりようもないのだが、私の来期の目標は相当なものであった。

どこから聞いてきたのか?その当時は毎週のようにベンチャーキャピタルが訪れ、その数は30社以上にも上った。

ただその時私は、まだ時期尚早だと言う考え方を持っていた。というのも、まだPOSセンターもオープンして一年足らずしか経ってはいないし、ビジネスの柱として位置づけるには心もとなかった。それにその当時稼ぎ頭であったDOSのPOSパッケージも早期にWindows化しなければいけないと考えていた。

その当時販売してたDOSのPC-POSパッケージソフトは、発売からすでに7年以上も経ち、バグもほとんど無く完成尽くされていた。DOSの性格上簡便で、高速で、POSとうい商品であるため、マウスの必要性も無く、操作性も悪くは無かった。
OSの変化の流れさえなければ、このままずっと販売続けそうな気がしていた。

しかし、すでにWindows95は世の中に販売されていたし、次のWindows98の開発状況もちらちら見えてきてた。

もしその当時、何の疑問も無く、このまま成長が続けられると考えていたならば、今のビジコムはあり得なかったであろう。いつものように将来の不安がよぎり事務所を広げた後、すべての行動が慎重になった。

私は新しいWindowsPOSシステムの開発を急いだ。新しい開発のメンバーを補充し、社内にはWindowsの開発チームと今までのDOSの開発のチームの二つが混在した。

Windowsの開発は、思った以上に難航を極めた。当初VBでの開発を試みたが、わずか半年で挫折した。当初使用を考えていた当初のMSのJetエンジンは、一度データが壊れると二度と使えない代物だった。POSのデータベースとして使用するにはあまりに危険すぎた。
それまで作っていたDOSのパッケージの完成度があまりにも高かったため、設計の段階でスピードが全然追いつかないことが判明した。あまりにWindowsの環境が重たすぎたのである。

そのため、半年たってそれまで作り上げたものすべてを破棄し、ボーランド社のC++Buliderで開発を行うこととした。C++Buliderはその当時まだ出たばかりで、多くの困難が予想されたが、C++言語であるためスピードにおいては満足のいくものであった。

私の頭の中には、当社が生き残るための重要な戦略が、この開発の中に秘められていた。


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