社内改革⑨
パソコンPOS回想録⑨(1997年)
新しいWindowsPOSパッケージを作り始めていた1997年、予期しなかった売上の低迷により過去にない赤字決算を向かえることになった。
本社を拡大移転し、次年度は売上が20%増加する見込みのもとに立てた計画だったので、前年比20%ダウンの売上は見事なまで私の計画を打ち砕いた。
売上の低迷、赤字の原因は、
①消費税5%値上げによる、一般消費の伸び悩み
②大口ユーザーの撤退
③社内での二重開発の負担増加(DOSとWindows)
ある程度予測できたこともあったのに、自分の過度の過信が招いた結果であった。
消費税が上がって売上低迷の予測が見え始めた2ヵ月後の1997年6月、私は直ちに社内の改革に着手した。
まず手がけたのは、肥大化してしまった経費の削減と、長期計画の軌道修正であった。
1996年6月に新しい事務所に引っ越してきて、まだ一年しか経っていなかった。しかし175坪のフロアーと月300万円の家賃は、経営に重くのしかかっていた。
当時の事務所のフロアの形はL字型に折れ曲がっており、100坪と75坪に別れていた。そのためテナント会社に片方の75坪を返却したいと申し入れたが、そんな都合のいい要請は受け入れられるはずもなく断られた。
しかたがなく、不必要なものは片っ端から解約・解除していった。一番大きかったのは保険であろう。いつ私がいなくなってもいいようにと、会社で3億円の死亡保険が掛けられていた。私もよくそんな保険に入ったものだと、今から考えると笑ってしまうが、実に月20万円以上のお金が保険に掛けられていた。
また、あまり使われていなかった営業車の数を半分に減らしたり、地道なコストカットを行ったが、あまり大きな効果を上げられなかった。
3ヵ月後、9月になってテナント会社から急な相談が入った。
「ビジコムさん、引越したいと、言ってましたよね」
別に引っ越したかったわけではなかったが、家賃の安いビルに引っ越したかった。その当時いた池袋ビルは、立地も家賃も申し分なかった。
テナント:「来月の10月までに引っ越しませんか?」
私:「え?」
なんと、たった一ヶ月で引っ越せ、と言う。
色々と話を聞いていると、業務拡張をしてる会社があって、ここのビルを借りたいと申し出ているらしい。当社が借りてたスペースは2階で、当時1階と3階が空室であった。ビルを借りたいといってる会社は、その1階、2階、3階の全部のフロアを使用したいため、当社が引っ越せば、その会社を誘致できるのだという。
あまりに唐突で虫のいい話だったので、しばらくほっておいたが、担当者は毎日足を運んできた。そしてそのたびに当社に有利な条件が整っていった。
有利な条件が整った1997年10月、引越しの話があって一ヶ月もしないうちに、同じテナント会社が持っていた別なビル(文京区小石川)に本社を引っ越していた。
たった1カ月で引っ越せというテナント会社もどうかと思うが、その話に乗って引っ越してしまった私もどうかと思った。引っ越した後で聞いた話だが、引っ越してきた会社は、ドコモであった。確かにサンシャイン近辺には、ドコモ関係の事務所がたくさん存在してた。道理で業務拡張してたし、そういえば通信関係って言ってたような。ドコモだと知っていればもっといい条件を引き出せたのではないかと思ったりもする。
新しい事務所は約80坪、池袋のビルに比べ約半分しか面積がなく、駅から遠く不便なとこであった。
入りきれなくなった多くの机や什器を破棄し、家賃も1/3になった。
小石川の事務所は、交通も食事するにも何かと不便なとこではあったが、隣には小石川植物園や桜の名所の播磨坂が隣接し、環境としては申し分もなく、私としては結構気に入った場所であった。それとともに、身の丈以上の背伸びから、身の丈に戻れた私は、安心感があったのだと思う。
結局、次年度の決算は、年間5億円程度の売上の会社で、約1億円の経費の削減がなされた。売上の20%の金額である。今考えても、無駄使いが多かったんだなと思うと共に、よくここまで絞りきれたものだと思っう。
このことは、その後の営業展開に非常に有利なこととなった。高コストな会社運営ではなく、低コストで運用できる。すべてのコストは商品に転化せざるをえないことを考えると、低コスト運営はお客様にも安い商品を提供できることになる。
安い=競争力の増加
この会社運営の低コスト化が、私が当初から考えていたソフトをレンタル(貸出)する営業方法、すなわち「レントウェア」の基礎に結びついていくことになる。

新しいWindowsPOSパッケージを作り始めていた1997年、予期しなかった売上の低迷により過去にない赤字決算を向かえることになった。
本社を拡大移転し、次年度は売上が20%増加する見込みのもとに立てた計画だったので、前年比20%ダウンの売上は見事なまで私の計画を打ち砕いた。
売上の低迷、赤字の原因は、
①消費税5%値上げによる、一般消費の伸び悩み
②大口ユーザーの撤退
③社内での二重開発の負担増加(DOSとWindows)
ある程度予測できたこともあったのに、自分の過度の過信が招いた結果であった。
消費税が上がって売上低迷の予測が見え始めた2ヵ月後の1997年6月、私は直ちに社内の改革に着手した。
まず手がけたのは、肥大化してしまった経費の削減と、長期計画の軌道修正であった。
1996年6月に新しい事務所に引っ越してきて、まだ一年しか経っていなかった。しかし175坪のフロアーと月300万円の家賃は、経営に重くのしかかっていた。
当時の事務所のフロアの形はL字型に折れ曲がっており、100坪と75坪に別れていた。そのためテナント会社に片方の75坪を返却したいと申し入れたが、そんな都合のいい要請は受け入れられるはずもなく断られた。
しかたがなく、不必要なものは片っ端から解約・解除していった。一番大きかったのは保険であろう。いつ私がいなくなってもいいようにと、会社で3億円の死亡保険が掛けられていた。私もよくそんな保険に入ったものだと、今から考えると笑ってしまうが、実に月20万円以上のお金が保険に掛けられていた。
また、あまり使われていなかった営業車の数を半分に減らしたり、地道なコストカットを行ったが、あまり大きな効果を上げられなかった。
3ヵ月後、9月になってテナント会社から急な相談が入った。
「ビジコムさん、引越したいと、言ってましたよね」
別に引っ越したかったわけではなかったが、家賃の安いビルに引っ越したかった。その当時いた池袋ビルは、立地も家賃も申し分なかった。
テナント:「来月の10月までに引っ越しませんか?」
私:「え?」
なんと、たった一ヶ月で引っ越せ、と言う。
色々と話を聞いていると、業務拡張をしてる会社があって、ここのビルを借りたいと申し出ているらしい。当社が借りてたスペースは2階で、当時1階と3階が空室であった。ビルを借りたいといってる会社は、その1階、2階、3階の全部のフロアを使用したいため、当社が引っ越せば、その会社を誘致できるのだという。
あまりに唐突で虫のいい話だったので、しばらくほっておいたが、担当者は毎日足を運んできた。そしてそのたびに当社に有利な条件が整っていった。
有利な条件が整った1997年10月、引越しの話があって一ヶ月もしないうちに、同じテナント会社が持っていた別なビル(文京区小石川)に本社を引っ越していた。
たった1カ月で引っ越せというテナント会社もどうかと思うが、その話に乗って引っ越してしまった私もどうかと思った。引っ越した後で聞いた話だが、引っ越してきた会社は、ドコモであった。確かにサンシャイン近辺には、ドコモ関係の事務所がたくさん存在してた。道理で業務拡張してたし、そういえば通信関係って言ってたような。ドコモだと知っていればもっといい条件を引き出せたのではないかと思ったりもする。
新しい事務所は約80坪、池袋のビルに比べ約半分しか面積がなく、駅から遠く不便なとこであった。
入りきれなくなった多くの机や什器を破棄し、家賃も1/3になった。
小石川の事務所は、交通も食事するにも何かと不便なとこではあったが、隣には小石川植物園や桜の名所の播磨坂が隣接し、環境としては申し分もなく、私としては結構気に入った場所であった。それとともに、身の丈以上の背伸びから、身の丈に戻れた私は、安心感があったのだと思う。
結局、次年度の決算は、年間5億円程度の売上の会社で、約1億円の経費の削減がなされた。売上の20%の金額である。今考えても、無駄使いが多かったんだなと思うと共に、よくここまで絞りきれたものだと思っう。
このことは、その後の営業展開に非常に有利なこととなった。高コストな会社運営ではなく、低コストで運用できる。すべてのコストは商品に転化せざるをえないことを考えると、低コスト運営はお客様にも安い商品を提供できることになる。
安い=競争力の増加
この会社運営の低コスト化が、私が当初から考えていたソフトをレンタル(貸出)する営業方法、すなわち「レントウェア」の基礎に結びついていくことになる。

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- [2004/08/17 00:12]
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