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会社設立回想録12 第二の柱 

20年目の独り言12 

会社設立してから4年目、
1990年代に入ってからも会社の売上は順調に推移した。
新しく開発したシステムは、評判もよく
自社開発のため、売り上げは大きな利益に結びついた。

設立当初は2~3人だった社員も11人までに増え
4期目には売上も2億を超えていった。

しかしながら、
1990年3月大蔵省から通達された土地関連融資の総量規制、
世の中はバブル崩壊へ向かっていった。
前回書いたように、レンタルビデオは黒字の会社が副業で始めることが多かった。
好景気時にはいい商売だが、会社が赤字になってまでやる商売ではない。
レンタルショップのオープンも陰りが見え始めていた。

この時点で、私はある不安に襲われた。
しかしまだ、景気がよくも悪くも、売上も人も増え順調に推移していた。
まだしばらくは、この状態を維持することが出来るかもしれない。

ただ、今会社の柱になってるのはレンタルシステムしかない。
この商品がもし売れなくなったら、会社はどうなっていくのだろう、と。
そんな環境の中で、私は会社の二本目の柱となるシステムを作ることを決意した。

当時はまだレンタルビデオは全盛期であったが、
一部の地域では過当競争がすでに始まっていた。
それを早めに関知した目先の聞くお店のオーナーは
次の新しい業種業態を探していた。

その中でも注目されていたのがカラオケボックスとリサイクルショップであった。
カラオケボックスは1998年ぐらいから急激にお店が増え伸びてた。
そしてリサイクルショップも、ファミコンカセットの中古買取が盛んになり
1990年にはスーパーファミコンの発売とともに急激に伸びそうだった。

当時、カラオケ管理システムと、リサイクル買取システム
同時に二つのシステムを開発する案も浮かんだ。
しかしながら、当時の会社の体力としては、
同時に開発することは不可能だと考えた。

私は次の点から、リサイクルシステムを開発することを決定した。
カラオケボックスは、お店の作りとしてレンタルショップとはまるで異なり
まるっきりの新業態として、新しく立ち上げるお店のほうが多かった。
そのため、システム開発はゼロからの出発であり
カラオケを始めるオーナーも異業種からの参入も多かった。

しかし、リサイクルならレンタル店の中での営業が可能であり、
今のレンタルシステムとリサイクルシステムの共存もありえある。
お店で必要とされるのは、レンタルとリサイクルの同時管理が出来る
ハイブリッとなシステムで、今のシステム開発の延長線上でいける。

1992年の3月、リサイクルシステムは完成した。
リサイクルシステムを「ふぁみっと」と名付けた。
会社の収益の柱が、レンタルシステムとリサイクルシステムの二本になった。

リサイクルシステム「ふぁみっと」の完成は、大いに会社を支えてくれた。
レンタルビデオは好景気に強いお店だったが
リサイクルショップは、不景気に強いお店だった。

景気がだんだん後退するとともに、ふぁみっとが売れ始めていた。
そして、リサイクルショップははゲームだけでなく、
本、CD、洋服(リサイクルブティック)、家電、小物等に広がった。

リサイクルは、個人から仕入れるため仕入れ金額がまちまちで
在庫管理がきちんとできてないと、お店の利益を計算することが出来なかった。
そのため、コンピュータ管理は必修で私はいち早くそれに気づいていた。
不景気は、リサイクルショップの追い風になり、店舗は増えていった。

レンタルシステムとリサイクルシステムは、
MS-DOSの時代が終わり1998年にWindows対応のPOSを出すまで売れ続けた。
ふぁみっと導入店舗は1000店舗、レンタルシステムが800店舗
レンタルシステムのほうがリサイクルシステムより3年早く開発したことを考えると
いかにリサイクルシステムがニーズに合致し売れたかがわかると思う。

1990年から1996年まで、株式会社ビジコムの第一次黄金期で
1996年には年商5億7千万円を上げたが、
それを境に急激に転落していくこととなった。


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