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周防大島との出会い① 

周防大島との出会いを忘れないうちに回想録として留めておく、2018/09

周防大島との関連ができたのは2015年、私がミラノ万博から帰ってきた後のことだった。

9年前の2009年12月にビジコムは柳井でビジコム柳井スタジアムの命名権を獲得していた。
ふとしたきっかけで、柳井の井原市長と会い、ビジコム柳井スタジアムの命名権を得たことは、
ビジコムが山口での足掛かりを作るうえで大いに役に立った。
この話はまた、別な機会に詳しく書きたいと思う。

ビジコム柳井スタジアムの命名権獲得後、3年経って
2012年12月14日に岩国錦帯橋空港がオープンしてた。
東京と岩国の行き来が楽になり、当時POSレジのサポートの拡大の必要性を感じていた私は、
山口とは別な場所、北海道や沖縄などを考えていたが、
どうせなら、ふるさと山口で開設しようと岩国にビルを購入して
013年4月カスターマーセンターを開設していた。

2015年に周防大島の話が持ち上がった時、すでに十数名の社員が岩国で働いていたし、
ビジコム柳井スタジアムの知名度もかなりあったので、
県の担当者、周防大島町の担当者も弊社に興味があったのだと思う。

最初、周防大島の廃校の話を聞いたとき、周防大島自体は知ってて小さい頃はよく行ってたが、
大人になってからは、岩国からは程よく遠く、どんな島だったかあまりピンとこなかったことを覚えてる。
サテライトオフィスという言葉を聞かされた時、いやいやうちはもう岩国で事務所をオープンして、
サテライトオフィス的なことをすでにやってるし、今更事務所と言われても、って感覚だった。

地図を見ると、橋を渡ってから元東和町和田まで結構ある。

大島全体

googleMapで測ってみると、岩国錦帯橋空港から1時間半、周防大島大橋を渡ってからも45分かかる。
「う~ん、どないなものかな~」って悩んでいたら、
いつも親しく接している県の担当者から、ぜひ一度見学を、って言うもんだから、
見るだけなら一度見てみるか、って思い2015年6月
見学に行った。

昔見てた周防大島と最近見た周防大島の景色は違ってた。
距離こそはあるものの、広い大きな道が島中に走ってて、信号も少ない。
一本道で海を見ながら快適なドライブであった。
うっかりすると「こんなとこ住んでみてもいいかなぁ」なんて誘惑にかられそうだ。
とにかく景色がいい、海がいい、環境がいい。
岩国の街中のオフィス事務所とは違った、新鮮な思いがあった。

和田地区

和田小空中


元東和町和田小学校の廃校を見て、驚愕した。
廃校=汚い、ってイメージだったが、立派な鉄筋校舎、まだ廃校になって1年足らず、
海に引き立つオレンジ色の瓦屋根、オールフローリングの立派な床、
鶯の声が響き渡る緑多き環境に私は一発で気に入った。

周防大島旧和田小

夜、大島の民宿に泊まった。
民宿にチェックインした後、島の関係者、県の関係者と食事をした。
そこにはわざわざ町長も県の議会の偉い人も、
そんなに偉い人が出てきたら断り切れなくなるでしょうって感じで、、、
(まあ、私の頭ではもうすでにやりたいと思ってた訳だからいいけど)

でも、その人たちの島に対する思いやは、感動し、共感した。
若い人たちも島が好きなのに、働く場所がない。
農業や漁業だけでは若い人たちを継ぎ留められない。
縫製工場のような会社を一度誘致したが長続きしなかった。
インターネットの進歩した今なら、IT企業の島での生き残りも可能ではないか?
そういう企業を誘致して、UIJターンを増やしていきたい。
そんな思いを聞かされて、共感した。

私自身も、田舎でこそIT企業は成り立つと考えている。
都市部に主たる機能だけ残せば、ネットを駆使して地方に分散化することは十分できると、
だから岩国営業所も立ち上げたし、周防大島でもありじゃないかと思っていた、

とはいえ、まだ今日初めて校舎を見たばかりだし、
いろいろな問題が発生するのだろうなと感じながら、私の頭ではどうやって実現しようかと考えていた。

②に、つづく、、、


Facebookにつられて、ブログを疎かに 

2010年12月からFacebookを使い始め、
徐々にブログとの併存が疎かになりブログの更新を疎かにしていた。
Facebookは仲間内だけのやり取りにはいいが、一般の人たちには見れない。
会社の記録を残しておくには、やはりブログが一番であろうと
少しずつこちらも書かなくちゃいけないと思いつつも時間がたってしまった。

今日は2018年9月27日、
前回の更新から2年以上も期間を空けている。

確かにFacebookは簡単に記事を上げられるんだよなぁ、
ブログは少し手間、

書きたいことは山ほどある、
周防大島の事、仮想通貨の事、キャッシュレスの事、、、etc
ブログは読み物としていいので、少しづつ書き足していこうと思う。

色々とお叱りもあると思うが、

もうすぐ、9月30日、31期の決算が終わる。

リテールテック2015 

毎年の事ではあるが、ビッグサイトで開かれているリテールテック2015に今年も出している。
今年で以前の1998年のSAショーから通算して18年目となる。


今年の目玉は、免税書類作成システムの「あっと免税」と店舗クラウド「tenpovisor」のスマートフォンで閲覧出来るようにしたtenpovisorアプリ、そしていつものようにパソコンPOSの「BCPOS」だ。

毎年のようにビジコムのブースは大きくなったと言われるが、ここ5年12コマのままでかわりはない。あえて言えば、他のブースが消えたり段々小さくなっている事かもしれない。特に今年はマイクロソフトブースが昨年は30コマぐらいあったのにたった3コマ、1/10位になったのはビックリだ。

やはり時代の流れには逆らえないようで、弊社もDOS、Windows、インターネット、スマホの時代に変化してきたが、そのような変化がない会社は自然消滅していくのであろうと思う。

あと、3日間少し長丁場ではあるが沢山のお客様方との接点を楽しみながら過ごしたい。

日本は世界一甘めの免税 

昨年(2014)の10月1日より日本国内では、新しい小売店の免税制度が始まった。
この制度は、海外の免税制度と比較したら、世界一甘い免税制度だといいきれる。

通常、他国の小売店での免税は、小売店で買い物をし一度税金を支払い、そのレシートや免税の帳票を持って免税還付コーナーにて手続きを得て免税を行う。
しかしながら、10月1日からスタートした日本の免税制度は、免税の許可を得たお店である一定金額の売り上げを上げると、税金(消費税)そのものを受け取らないという制度である。
これは他国のように一度税金を払って還付するのではなく、税金分そのものを受け取らないという画期的な、そして世界一柔軟な甘い免税制度である。

これによって何が生じるかというと、小売店は免税金額に達すると免税書類を作成しパスポートにその免税書類を貼り付けるだけで外国人の消費税の支払いを免除できるのである。ただしこの免税書類作成の作業自体がお店にとっては手間作業になり、多くの外国人を受け入れているお店にとっては最大の問題となっている。

外国人に商品を販売する免税制度は、非常に魅力的な制度である。免税金額は消耗品で50000円以上であるので、外国人から見れば5000円の買い物をすれば消費税が免除になるのである。当然、免税店と免税店でないお店があったとしたら外国人は免税店のほうで買い物をする。免税店で買い物をする場合は5000円以上買い物をする人たちが多くなるので外国人の訪問客が多い店は5000円×人数分、飛躍的に売り上げが増す。

「個別免税と集中免税(免税コーナ)」
現在、多くのお店で免税のやり方は個別店舗で個別免税するケースと、集中免税コーナー(カウンター)を建物のどこかにつくり数十店舗まとめて免税するケース(百貨店やモールなどがこれに該当)の二種類に分かれる。

私は小売店が免税を行うのであれば、個々のお店で個別免税をするべきだと断言する。
個々のお店で個別免税する場合に比べて、免税コーナーで一括免税するやり方は、個別免税の売り上げの1/5ぐらいまで売り上げが伸び悩む。本来150%以上売り上げが伸びてもいいお店が、110%程度の売り上げしか上げられないのである。

「集中免税では売り上げを上げられない」
集中免税は、外国人観光客に不便を強いる。まずは、買い物をするのに一度は消費税を払っていただかなければならない。そして売り場とは遠い集中免税コーナまで行って、そしてそこで並んで還付を受けなくてはならない。そして戻ってくる金額は免税金額8%丸々ではなく手数料を差っぴかれてしまう。
外国人から見たら不便な不親切な免税方法である。
インターネットが盛んな今の時代、外国人観光客の中ではこの不便さや不満は一気にSNSやメール、その他の伝達方法によって一気に広がる、そしてあえてその店にお客が集中することはなくなる。
その傾向は顕著に現れている。
専門店で直接個別免税を行っているお店の中は外国人で溢れかえっており銀座や新宿の免税店は活況である。
しかしながら、同じ銀座や日本橋などに構える百貨店では免税コーナーは閑古鳥が鳴いていたり、狭い免税コーナーに外国人が並んでいる。
百貨店やモール、テナントがこの方法を取る限り、ほんの一部の外国人観光客しか買い物をしてくれない。

外国人から見た場合、百貨店の中で買い物をしてしまうと、一度消費税を払わされた上、数百メーターも離れた場所に行って免税手続きを受けなさいというのである。日本橋三越は本館の隣の新館の2F、日本橋高島屋は2Fの奥の狭い部屋、東京駅の大丸は8Fの突き当たり。
どの百貨店も外国人の数は少なく、免税の恩恵を受けているとは思えない。
ショッピングモールなどでも同様である。各店舗で免税商品を買ったとしても200mくらい離れた免税コーナーに行って免税手続きを受けろというのである。私が外国人であるならばそんなところで買い物をしようという気が起きない。

「免税は個別免税のあるべき」
日本は世界一甘い免税のため、個別免税が許されているのである。個別免税とは単独店で免税売り上げを立て消費税を受け取らない方法である。ただし個別免税をするためには店舗個別で免税書類の作成を行う必要がある。
新しい免税制度が始まって、多くのお店が税務署に免税店の申請を行って免税店の許可を受けているにも関わらず、まだ免税を始めていないお店が多い。それはやはりこの免税手続きの書類作成の手間を嫌って混乱を避けたいと感じているからである。
手書きの免税書類の作成は、時間がかかる。手書きの書類だと平均約10分くらいかかるのが当たり前だ。外国人はバスなどで団体で訪れるケースも多いため、30分くらいの滞在時間では3人くらいしか書類作成できず機会損失を起こしていると思われる。個別免税では書類作成の短時間化は売り上げの伸びに直結する。

日本はお店で免税処理を許されている国だと考えれば、個別店舗で免税処理をすれば独自のお客の集客も可能になるし、その場で消費税を掛けない売り上げを立て、消費税分ものが安くなれば外国人顧客の来店が飛躍的に増え、お店の売り上げが飛躍的に伸びる。

是非、個別店舗での免税を行い、売り上げを飛躍的に伸ばしてほしい。
そのために、弊社では「あっと免税」というたった一分で免税書類作成ができるシステムを提供している。
免税店にはぜひとも導入してほしいシステムだ。


アイスバケツレクイエム(チャレンジ) 

本日、岩国市の錦帯橋のにてアイスバケツチャレンジ(レクイエム)を行いました。

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私は今月の8月7日に母親をALS筋委縮性側索硬化症にて亡くしておりますので、チャレンジというよりレクイエムとあえて言わさせていただいています。
母親がALSで亡くなった直後、奇しくもアメリカでALSキャンペーンが始まったことは、私にとって複雑な思いでした。

しかしながら、この病気のことを理解して頂くには大変重要なことだと感じ、ビルゲイツが氷水をかぶった直後、facebookやTwitterに是非私を指名してくださいと言い続けていました。

そして続けざまに株式会社コスモピア代表取締役の田子みどりさん、ピー・シー・エー株式会社専務取締役の折登泰樹さん、そしてラテン歌手の八木啓代さんからご指名を受けました。

アイスバケツチャレンジには最近はいろいろな意見も出ていますが、私は身近に母親の死にざまを見て、ぜひ理解をいただきたい病気だと思っています。

ALSは難病ですが、ただの難病ではなくまだ今の医学では治療法のない薬もない病気です。筋肉が徐々に衰えていくだけでなく、最後は肺の呼吸をする筋肉まで衰え呼吸ができなくなり死んでいく病気です。私の母に与えられた治療法はビタミン剤と神経の再生を促す薬と胃薬だけです。

なんの根本的な治療もおこなわれず12月にALSを診断され、非常に進行が早く8月に亡くなっています。

人工呼吸器や胃瘻によって延命することは可能ですが、私の母は、人工呼吸器も胃瘻も拒絶し、信念をもって亡くなりました。

このキャンペーンによって多くの方々にALSを知っていただき、そして少しでも治療法や予防法が見つかってほしいと願っています。

私からのご指名は、私の古くからの友人の松本浩一さんと、
柳井市長の井原健太郎さん、
東京都議会議員の塩村文夏さんにお願いしました。

もう既に多くの方々にALSを知って頂くことはできましたが、これからも早期に治療法が見つかることを望んでいます。

https://www.youtube.com/watch?v=_mArpi198vs